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忠次が嫁を貰ってから一年が過ぎた。
初めの頃、年下の忠次に何事も従っていたお鶴も、嫁に来て一年が過ぎると新しい生活にも慣れ、だんだんと姉さん風を吹かすようになった。母親ともうまくやり、朝から晩まで母親と共に働き続け、忠次はのけ者にされたような感じだった。
「ねえ、まだ、免許が貰えないの? 一体、いつになったら道場が開けんのよ」
「そんな簡単に取れりゃア、誰だって道場主になれらア。免許を取るってえのは、うんと難しいんだ」
「早く、取ってよね」
「わかってらア。それよりよお、たまにゃア仕事を休んで、どっかに遊びに行こうぜ」
忠次はお鶴を抱き寄せようとするが、
「なに言ってんの。そんな暇なんかないわよ」とつれなかった。
家にいても面白くなく、また、フラフラと遊び歩くようになって行った。
清五郎と富五郎は三室村の勘助の子分になり、嘉藤太(かとうた)と一緒に長脇差(なずどす)を腰に差して村々をのし歩いていた。
勘助は一家を張ると言っていたが、千代松の言った通り、親に反対されて、三室村に一家を張る事はできなかった。仕方なく、田部井(ためがい)村の嘉藤太の家を本拠地にして、妾(めかけ)まで呼んで親分気取りだった。久宮(くぐう)一家の若い者たちと時々、喧嘩をして血を見る事もあったが、うまく追い返していた。国定村はまだ久宮一家の縄張り内だったが、田部井村は勘助のものになったようだった。
千代松は勘助の子分にはならず、忠次と共に本間道場に通っていた。しかし、嫁を貰ってから腑抜(ふぬ)けになってしまった忠次と話をする事もなく、稽古が終わるとさっさと帰って行った。噂では、八寸(はちす)村の七兵衛親分の所に出入りしているという。
お鶴と喧嘩をして、ムシャクシャしていた忠次は内緒で銭を持ち出すと、昼過ぎに家を出た。
赤とんぼが飛び回り、北風が道端のススキの穂を揺らせていた。
からっ風にはまだ早いが、風は冷たかった。
忠次は懐手をすると風に押されるように、フラフラと南へと歩いて行った。足は自然と隣村の嘉藤太の家に向かっていた。嘉藤太には会いたくなかったが、久し振りに博奕(ばくち)を打って気晴らしをしようと思っていた。
当時、博奕は厳しく禁じられていた。しかし、庶民の娯楽として日常茶飯事のように行なわれていたのが実情だった。気心の知れた仲間が集まれば、いつでも、どこでも博奕が始まった。仲間の家は勿論の事、畑の中や道端、寺社の境内、坊主が混じって本堂でやる事もある。その中に女子供が加わっている事も珍しくはなかった。だが、そこらでやっている博奕では大金は動かない。ほんの慰(なぐさ)み程度だった。
大金が動く博奕場は貸元(かしもと)(親分)と呼ばれる博奕打ちが仕切っていた。貸元は客の安全を保証して博奕を開催し、保証料に当たるテラ銭(せん)を勝った客から受け取っていた。
国定村でも養寿寺(ようじゅじ)の縁日や赤城神社の祭りの時、久宮一家の代貸がやって来て賭場を開帳した。その日は村中の者たちが夜の明けるまで博奕を楽しんだ。忠次の父親、与五左衛門(よござえもん)は博奕好きで平気な顔をして大金を掛け、負けっぷりも良かったが、勝った時はみんなに大盤振る舞いをしたと今でも語り草になっている。
祭りの時は大金の動く賭場が開くが、普段はそんな賭場はない。ところが、嘉藤太の家で勘助が貸元になって、いつでも賭場を開いているという。忠次はその噂を聞いていたが、今まで行こうとは思わなかった。しかし、今日は無性に博奕が打ちかった。博奕が打ちたいというより、以前のように清五郎や富五郎たちと一緒に遊びたくなったのかもしれなかった。
意気込んで嘉藤太の家に行ったが、賭場が開かれている様子はなく、やけに静かだった。
忠次が家の中に入ろうとすると、
「おっちゃんはいねえよ」と後ろから声がした。
振り返ると十歳位の子供が竹槍を持って立っていた。この辺りでは見かけない生意気そうなガキだった。
「何でえ、おめえは?」
「留守番だい」と子供は竹槍を構えて、
「おじさんこそ見かけねえけど誰だい?」と聞いて来た。
「留守番だと? 嘉藤太はどっかに行ったんかい?」
「嘉藤太さんもおっちゃんも草津の湯に行ったんだ」
「草津だと?」
「そうだい。おじさんは誰なんだ?」
「誰でもいい。いつ帰(けえ)って来るんだ?」
「知らねえ。饅頭を買って来てやるって言ったけど‥‥‥」
「しっかり、留守番してろ」
忠次はがっかりして又八の家に行き、勘助の事を聞いた。
「よく知らねえけど、勘助親分にまとまった銭が入(へえ)ったらしくて、草津に行ってパアッと遊んで来るって。嘉藤太さんも清五さんも富五さんも一緒に行きましたよ」
「パアッとか‥‥‥いい気なもんだな。小生意気なガキが竹槍かついで留守番してたが、ありゃ何でえ?」
「ああ、あいつは勘助親分の甥(おい)っ子で板割の浅ってんですよ。甥っ子っていっても血はつながっちゃアいねえらしいけど」
「どういうこったい?」
「勘助親分の妹が板割職人の浅の親父んとこに後妻に入(へえ)ったんです。新しいおっ母と浅の奴は馬が合わなくて、家に寄り付かねえで勘助親分に付きまとってるんでさア」
「おっ母と馬が合わねえのに、その兄貴とは馬が合うんか?」
「親父の跡を継ぐより、勘助親分の子分になりてえんでしょ」
「ふーん。しかし、あんなガキに留守番させて、遊びに行くたア大(てえ)した親分だな」
「あれ、留守番はちゃんといるはずですよ。確か、佐与松さんが文句を言いながらも留守を守ってるはずですけど」
「いなかったぜ」
「おかしいな‥‥‥でも、珍しいですね、兄貴が勘助親分を訪ねるなんて」
「兄貴に会いに来たんじゃねえ。清五の奴にちょっと用があったんだ」
「清五さんもすっかり博奕打ちになりましたね。俺も勘助親分の子分になろうと思ってるんです」
「勘助親分か‥‥‥まだ、一丁前(いっちょめえ)に一家を張ったわけじゃあるめえに」
「でも、羽振りはいいみてえですよ」
「ふん」
「兄貴が博奕打ちになりゃア、俺は文句なしに子分になんのに」
「俺は博奕打ちにはなんねえ。道場主になるんだ」
「早くなってくだせえよ」
「うるせえ」
忠次は又八の家で酒を飲み始めた。酒を飲めば、お鶴に対する愚痴が出た。又八を相手に愚痴をこぼしていると、何だか外が騒がしくなって来た。
「何、騒いでるんでえ? おめえ、ちょっと見て来う」
又八はうなづくと出て行った。
忠次は酒を飲みながら、勘助たちを追って草津の湯に行こうかと思った。あまりよく覚えていないが、親父が生きていた頃、家族揃って草津に行った事があった。銭はたっぷりあるし、千代松でも誘って気晴らしに草津に行くのも悪くねえなと思った。
一旦、家に帰って旅支度をして出掛けるかと又八の家を出ようとした時、血相を変えて又八が戻って来た。
「兄貴、大変(てえへん)だ。名主(なぬし)さんちにならず者(もん)が押し入って、佐与松さんが斬られたんだ」
「何だと? 佐与松がやられたんか?」
「血だらけんなって転がり回ってます。兄貴、何とかしてくだせえ。勘助親分も嘉藤太さんもいねえし‥‥‥」
「おい、ならず者がどうして、名主んちに押し込むんでえ。詳しく聞かせろい」
「それがよく分かんねえんだけど、そいつらは久宮一家の者らしくて、勘助親分とこに来たらしいんです。縄張りの事で言い掛かりを付けに来たらしいんだけど留守なんで、名主さんとこに押し入ったみたいです」
「どうして名主んとこに行くんでえ?」
「さあ? 名主さんは嘉藤太さんの親代わりみてえだから、難癖を付ければ、銭を脅し取れるとでも思ったんじゃねえですかね。そこに留守を預かってた佐与松さんが話を付けに言ったんだけど、喧嘩になって斬られたようです」
「相手は何人でえ?」
「えーと、三人です」
「おめえ、長脇差(ながどす)、持ってるか?」
「ええ、親父のがあります」
「そいつを持って来られるか?」
又八は力強くうなづくと奥の部屋から長脇差を持って来た。
忠次は頑丈そうな長脇差を受け取ると腰に差し、着物の裾(すそ)をたくしあげ、刀を抜いて刀身を調べた。満足そうにうなづくと鞘(さや)に納め、柄(つか)に酒を吹きかけた。
「よし、行くぞ」
又八は忠次の真似をして、木刀の柄に酒を吹きかけると忠次に従った。
田部井村の名主、小弥太の屋敷の前は人だかりとなっていた。皆、心配そうな顔をして、屋敷の中の様子を見守っている。又八が人々を押しのけて、忠次を通した。
菊の花が見事に咲いている広い庭の中程に血の跡があった。しかし、佐与松の姿はどこにもなかった。
縁側に遊び人風の男が三人いて、名主の小弥太が頭を下げているのが見えた。一人が縁側に座り込み、二人がその脇に立っている。座り込んでいる男が何かを名主に言っているようだが、聞き取る事はできなかった。
「なんだ、おめえは隣村の忠次じゃねえか?」と見物人の誰かが言った。
「おめえなんかの出る幕じゃねえ。今、宇右衛門(うえもん)さんを呼びにやってるから、もう少し待つんだ」
「師範代を呼びに行ったのか?」
忠次は声の主に聞いた。
「ああ。宇右衛門さんなら、あんな通り者(もん)は簡単に追っ払ってくれるだんべえ」
「あんな野郎、俺だって追っ払えらあ」
「やめとけ、相手は腕が立つ。おめえじゃア佐与松の二の舞(め)えだ」
「佐与松はどうした? 大丈夫(でえじょぶ)なのか?」
「腕をちょっと斬られただけだ。命に別条はねえ」
「よかったな」と言うと忠次は門から庭に入って行った。
「おい、やめとけ」
後ろで声がしたが、忠次は構わず、縁側の方に向かった。
又八が得意顔で後に従った。
「国定の忠次だ」という声があちこちから聞こえて来た。
「お町さんに振られた男だぜ」という声も聞こえて来たが、忠次は無視した。
「何でえ、てめえは?」
長脇差を腰に差した背のひょろっとした男が忠次を睨んだ。名前までは知らないが、久宮一家の身内に違いなかった。
「国定村の忠次郎だ。よく覚えておきやがれ」
忠次は胸を張って啖呵(たんか)を切った。
「知らねえな。ガキの出る幕じゃねえぜ、さっさと帰(けえ)んな」
「おめえらこそ、怪我をしねえうちに帰った方がいいぜ」
「野郎! 痛え目に会いてえんか?」
アバタ面の男が歪んだ顔をさらに歪め、長脇差の柄に手をやって忠次の方に踏み出して来た。
「帰れと言ったんだ。聞こえねえのか?」
「そいつア、こっちの言う事だ」
「おめえも勘助の身内かい?」
三人の中では一番貫録のある男が縁側に腰を下ろしたまま、落ち着いた声で聞いた。
「身内じゃねえ」
忠次は縁側に座っている男を睨んだ。
「じゃア、どこの者(もん)だ?」
「どこでもねえ。本間道場の忠次郎だ」
「へっ、棒振りをやってるからっていい気になるんじゃねえ。おとなしく帰んな」
「ここまで来たら、そうは行かねえ。ここで引き下がったら、また恥をかく」
「そうかい、そんなに怪我してえんなら、望み通りにしてやるぜ」
男は立ち上がると、二人を押しのけ、忠次の前に出た。
面倒臭そうに長脇差を抜くと切っ先を忠次の顔に向けた。
「忠次、やめるんだ!」
名主の小弥太が縁側から顔を出して叫んだ。
忠次も長脇差を抜いて構えた。
真剣で斬り合うのは初めてだった。
相手の男は何度も修羅場(しゅらば)をくぐって来た顔付きで薄ら笑いを浮かべている。
下手をすれば死ぬかもしれない‥‥‥
背中に冷たい汗が流れ、足が震え、頭の中が真っ白になった。
何がどうなったのか分からない‥‥‥
相手の長脇差が頭上できらめき、斬られると感じ、必死になって斬り掛かって行った。
グサッという鈍い音がして、奇妙な呻(うめ)き声が聞こえた。
暖かい物が顔に掛かり、
「やめろー!」と誰かが叫んでいる声で我に返った。
声の方を向くと本間道場の師範代、宇右衛門が馬から飛び下りて、こちらに走って来るところだった。
「うわぁ!」と叫びながら、二人の遊び人が逃げて行った。
見物人たちは慌てて、道を開けた。
忠次は手にした長脇差を見た。血で真っ赤になっていた。
相手の男は首の付け根から血を吹き出しながら倒れている。虚(うつ)ろな目をしながら首を震わせ、血だらけの口をモグモグしていたが、やがて、ガクリと事切れた。
「おい、忠次、おめえ、大丈夫か?」と宇右衛門が聞いた。
忠次は自分の体を眺めた。着物も血で真っ赤になっていた。人を斬るとこんなにも血が出るのかと驚いた。痛みはどこにもない。斬られてはいないようだった。
「で、大丈夫(でえじょぶ)です」と忠次は答えた。
「そっちは大丈夫ですか? 白目なんかむきやがって、ふざけるんじゃねえ‥‥‥くたばっちまったのかい‥‥‥」
気が動転していて、自分が何を言っているのか分からなかった。
宇右衛門は倒れている男を調べていた。
「見事な切り口だ。しかし、殺したのはまずいぞ」
小弥太も家から出て来て、死体を調べた。
「何者ですか?」と宇右衛門が小弥太に聞いた。
「久宮の親分の客人で野州無宿(やしゅうむしゅく)の何とかと名乗ったが‥‥‥」
「流れ者か‥‥‥何だって、そんな奴が名主さんちにやって来たんです?」
「嘉藤太が賭場を開いてたのを知っていながら見ねえ振りをしてたと言い掛かりを付けて来たのよ」
「ゆすりか‥‥‥とにかく、忠次、おめえ、長脇差なんか捨てて、その血だらけの面を洗って来い」
忠次は裏庭に行き、井戸で長脇差に付いた血を流し、顔と手を洗った。又八が一緒について来た。
「兄貴、兄貴はやっぱり凄(すげ)えや」
又八は憧れの眼差(まなざ)しで忠次を見ていた。
「おめえの親父の長脇差を汚しちまったなア。よく手入れして返(けえ)しておいてくれ」
「こいつは俺の宝にしますよ」
「馬鹿野郎! 人を殺した長脇差が宝になんかなるか」
「兄貴、これからどうなるんです?」
「人を殺(や)っちまったからな」
「早く逃げた方がいいですよ。まごまごしてたら、八州様に捕まっちめえます」
「逃げるったって、どこに逃げるんでえ?」
「信州の方まで逃げれば大丈夫だって、勘助親分から聞いた事あるけど」
「信州か‥‥‥」と忠次は言ったが、信州なんて行った事もなかった。
どうやって逃げればいいのか考えていると宇右衛門がやって来た。
「いいか、忠次、よく聞け。こっちの事はわしと名主さんで何とかする。一応、お役人には届けなくてはならんが、相手は無宿者(むしゅくもん)だ。何とかなるだんべえ。おめえはしばらく身を隠してろ」
「隠れるって、どこに?」
「とりあえず、道場に行って本間先生にありのままを話すんだ。先生は顔が広え。うめえ事を考えてくれるだんべえ」
忠次は血の付いた着物を着替え、家にも寄らずに真っすぐ、市場村の本間道場に向かった。又八も一緒に行くと言い張ったが、途中で追い返した。
畜生! どうして、こんなふうになっちまったんだ‥‥‥
お鶴と喧嘩して、気晴らしに博奕を打とうと家を出てから、まだ、一時(いっとき)(二時間)も経っちゃいねえ。勘助たちがいりゃア、今頃は博奕に熱中していたはずだった。それが、博奕を打つ代わりに人を殺しちまった。今でも、人を殺したという実感はねえ。夢中になって気が付いたら、相手は死んでいた‥‥‥
これから、自分がどうなって行くのかまったく分からなかった。
脇目も振らずに歩いている忠次の周りを赤とんぼの群れが飛び回っていた。
念流の師匠、本間千五郎は忠次の話を聞くと玉村宿で角万屋(かくばんや)という旅籠屋(はたごや)をやっている佐重郎という親分を紹介してくれた。佐重郎は忠次の父親をよく知っていたから、うまくやってくれるだろうと言う。
千五郎が書いてくれた書状を持って、忠次は玉村宿に向かった。
玉村宿は日光例幣使(れいへいし)街道の宿場で、飯盛(めしもり)女と呼ばれる女郎(じょろう)が大勢いる事で有名だった。角万屋も飯盛女を抱えた旅籠屋で、佐重郎は旅籠屋の主人であったが博奕打ちでもあった。玉村一家の親分であると共に、八州様の御用聞き(道案内)として十手(じって)も預かっていた。
八州様というのは正式には関東取締出役(かんとうとりしまりしゅつやく)といい、関八州の村々を巡回して犯罪者を召し捕る役人の事だった。関東の国々は幕府の直轄領(天領)、旗本領、藩領、寺社領がモザイクのように入り乱れていて、他領に逃げ込んだ犯罪者を逮捕する事はできなかった。特に上州は細(こま)切れ状態になっていて、犯罪者が潜伏逃亡するのに都合がよく、多くの博徒が生まれるのも当然と言えた。そこで幕府が考えたのが、どこへでも踏み込んで行って犯罪者を逮捕できる権限を持った関東取締出役だった。
忠次が無宿者を斬った文政九年(一八二六)の頃、上州(群馬県)と武州(ぶしゅう)(埼玉県と東京都)を担当した関東取締出役は四人いて、二人づつ交替で村々を回っていた。
彼らは江戸に住んでいるため、地方を巡回するには道案内を必要とした。道案内は原則として村の名主たちが務めるべきだったが、取り締まりの対象が博奕打ちや無宿者なので、そういう者たちを捕まえるには内情をよく知っている者でなくてはならない。そこで、顔の売れている博奕打ちの親分を道案内に採用する事となった。これを『二足の草鞋(わらじ)』といい、大前田栄五郎に殺された久宮の丈八やこの後、忠次と対立する事になる島村の伊三郎もそうだった。
道案内は無報酬だったが、八州様を後ろ盾にした役得は多かった。
博奕を見逃してやるからと言って賄賂(わいろ)を貰い、払わない博徒は捕まえて江戸に送り、その縄張りは自分のものにした。飯盛女と呼ばれる宿場女郎は一軒に二人までという決まりだったが、それを守っている旅籠屋はない。見逃してやるからと言って賄賂を貰い、払わない者は捕まえた。料理屋や分限者(ぶげんしゃ)(金持ち)の所に顔を出して、何か問題が起きたら俺がうまくやってやると言っては袖(そで)の下を受け取った。十手をちらつかせ、人の弱みに付け込んでは勢力を広げて行ったのだった。
佐重郎はそこまであくどい事をしてはいなかった。しかし、玉村宿には飯盛女が大勢いて、佐重郎が何も言わなくても、旅籠屋の主人たちは見逃して貰うために包み金をそっと握らせていた。
佐重郎は忠次が与五左衛門の伜だと知ると大歓迎してくれた。人を殺した事を知っても驚く事もなく、相手が無宿者なら何とかなる。俺に任せておけと力強く言った。
人を殺して不安になっていた忠次は佐重郎の言葉に励まされ、何とかなりそうだと気が楽になった。よく分からないが、佐重郎は忠次の父親に恩を感じているようだった。これでようやく恩返しができると喜んでいた。
その晩、忠次は贅沢(ぜいたく)な料理と綺麗所の飯盛女に囲まれて、夢のような一夜を過ごした。