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その年、天保(てんぽう)三年(一八三二)の春、桑(くわ)が芽吹く頃、大霜が降り、桑の葉が全滅して養蚕ができなかった。その後、梅雨時に雨が少なく、日照りが続き、米のできも悪く、米価は高騰した。農民たちは騒いだが、暴動にまでは至らなかった。しかし、この年の不作が日本全国を襲った天保の大飢饉(ききん)の幕開けだった。
養蚕はうまく行かなかったが、境の絹市にはそれ程の影響はなかった。絹糸にしろ、絹織物にしろ蓄えて置く事ができるので、不作の年はそれらを市に出して現金に代えた。米価が上がり物価が上昇すれば、絹の取引価格も上がり、在庫を多く持っている者は返って喜んだ。
吉祥天のお辰が壷を振る忠次の賭場、伊勢屋は相変わらず客が集まり、伊三郎の桐屋と大黒屋をしのいでいた。伊三郎にはもう一つ、佐野屋の賭場があったが、壷振りが女ではないので客が減り、とうとう閉鎖となってしまった。また、佐野屋の御隠居が百々一家の隠居、紋次と親しいので、伊三郎としてもやり辛かったのかもしれなかった。
境宿の名物となった女壷振りも一年が経つと飽きられて来て、大黒屋のお北は消え、男の壷振りが復帰していた。壷振りで客が呼べなくなると、どうしてもテラ銭の安い忠次の賭場の方に客は集まって来た。
その年の九月、木島村の助次郎と共に紋次を裏切って伊三郎の代貸となった武士(たけし)村の惣次郎が伊勢崎の栗ケ浜の半兵衛親分に殺されるという事件が起こった。
伊三郎の身内になった助次郎と惣次郎は縄張りを広げるために伊勢崎方面に進出して、半兵衛と争っていた。調子に乗った惣次郎が半兵衛のシマ内で無断で賭場を開き、文句を言いに来た半兵衛の子分を斬ったのが原因だった。怒った半兵衛は武士村に殴り込みを掛け、惣次郎と主立った子分たちを殺して旅に出てしまった。伊三郎は半兵衛たちを関東取締出役に訴えて手配したが、武士村に代貸を置く事はしなかった。忠次は武士村に文蔵を送り込んで、武士村を取り戻した。
円蔵の作戦により、平塚の助八と中島の甚助が消え、後は世良田の弥七だった。弥七がいなくなれば、島村一家を潰す事も可能になると円蔵は考えていた。しかし、弥七を消すのは難しかった。
弥七の縄張り、世良田村には祇園(ぎおん)社(八坂神社)と長楽寺があった。長楽寺は将軍徳川家の菩提寺(ぼだいじ)で、境内に徳川家康を祀(まつ)る東照宮があり、世良田村は長楽寺の寺社領となっていた。将軍家に縁(ゆかり)のある朱印地であるため、余程の事がなければ関東取締出役でさえ立ち入る事はできず、賭場を開くには絶好の環境と言えた。世良田の村民は他村に比べると裕福であり、長楽寺の坊主たちも博奕好きだった。さらに、六月に行なわれる祇園祭りは盛大だった。各地から親分衆が集まって来て、あちこちに賭場を開いた。その場所を決める権利を持っているのが弥七で、ショバ(場所)代を集めるだけでも莫大な利益を上げる事ができた。
弥七が世良田村の親分になる事ができたのは伊三郎のお陰であった。伊三郎の後ろ盾があったからこそ、先代の親分から跡目を継ぐ事ができたのだった。最高の縄張りを持っているため、助八や甚助のように縄張りを広げようという野心はない。世良田だけで満足している。ただ欲目を言えば、高いカスリを払わなければならない伊三郎から独立したいと願っているが、その事は胸の奥にしまって口に出す事はなかった。
軍師と呼ばれるようになった円蔵は、弥七を陥(おとしい)れるための作戦をずっと考えていた。しかし、いい考えは浮かばなかった。忠次は焦る事なく、国定村周辺の村々を次々に縄張り内に組み込んで行った。
国越えしていた富五郎と甲州無宿の新十郎が戻って来たのはその年の暮れだった。二人は甲州方面の親分のもとを渡り歩いて修行を積んで来たという。旅の話を自慢気に話してくれた。
年が明けて三月、境宿の諏訪神社の桜が満開で、花見客で賑わっている時、おとなしくしていた文蔵が騒ぎを起こした。桐屋に殴り込み、伊三郎の取り巻き連中に殴られ、血だらけになって帰って来た。
「何てえ事をしてくれたんでえ。伊三郎を殺(や)るのはまだ時期が早すぎるわい」
円蔵は文蔵を怒鳴った。
「違う、違う、軍師、そうじゃねえんだ」と文蔵は顔の血を拭きながら叫んだ。
「小三郎の奴がいやがったんだ」
文蔵は顔を歪めて、腹を押さえた。
「何だと?」と忠次は長火鉢の向こうで腰を浮かせた。
「新五の兄貴を殺った、あの小三郎が帰(けえ)って来やがったんか?」
「桐屋に入(へえ)ってくとこを見たんだ。取っ捕めえてやろうと桐屋に踏み込んだら、伊三郎のくそったれがいやがったのよ。畜生、あの野郎、ぶっ殺してやる」
「小三郎は桐屋にいるんだな?」と聞いたのは相州無宿(そうしゅうむしゅく)の丈太郎(じょうたろう)だった。
丈太郎は以前、紋次親分の世話になった事があり、紋次が病で倒れた事を旅の空で聞いて、一月程前に紋次を見舞うためにやって来た。丈太郎は旅先で円蔵と知り合っていて、偶然の再会を喜んだ。紋次の病は大分よくなり、半身は不自由でも、杖を突けば歩ける程に回復していた。丈太郎も安心したが、兄貴分だった新五郎が殺されたと聞いて驚いた。新五郎の墓参りをし、居心地もいいので、円蔵に勧められるままに長逗留していた。忠次が伊三郎を相手に戦っている事を知り、新五郎のためにも何か手伝う事があればやらせてくれと常々言っていた。
「あっしの出番のようですね」と丈太郎は渋い顔してうなづいた。
「この件は丈太郎さんに任せた方がよさそうだな」と円蔵は忠次に言った。
「任せておくんなせえ。円蔵さんのいう通り、まだ、伊三郎を殺るには時期が早え。今、百々一家が伊三郎に刃向かっても勝ち目はねえ。伊三郎を殺るには少しづつ外堀を埋めて行くしかねえぜ。小三郎の奴は間違えなく、あっしが片付けますよ」
「丈太郎さん、済まねえ」
忠次は頭を下げた。
「本来なら俺たちが落とし前(めえ)をつけなきゃなんねんだが」
「なあに、新五の兄貴にゃア世話になりっぱなしだった。恩返しのつもりで仇を討つのさ」
「死なねえでおくんなせえよ」
「どこで死んでも悔いのねえ体だが、親分さんには迷惑はお掛けしやせん。今度、上州に来る時を楽しみにしてますよ」
「その事なら任せておきねえ」
丈太郎が小三郎を殺す事に決まり、桐屋に宇之吉を送って偵察させたが、当の小三郎は消えてしまった。文蔵に見られたため、伊三郎が隠してしまったのだった。
「くそっ、また、旅に出ちまいやがった」
文蔵は傷の痛みを堪えながら悔しがった。
「いや」と円蔵は首を振った。
「三年近くも国を離れてたんだ。帰って来たばかりで、すぐまた、旅に出たとは思えねえ。どこかに隠れてるに違えねえ。奴に女はいねえのかい?」
「おっと、そういや、確かに女はいたぜ」
文蔵は目を細めて宙を見た。
「確か蛭子(えびす)屋で働いてたはずだ。けどよお、奴がいなくなってからは見かけねえな。おふさとかいう名前(なめえ)だったぜ」
「その女なら伊与久村にいますよ」と久次郎がとぼけた顔して言った。
「何だと? 何でおめえが知ってんだ?」
「もう一年も前(めえ)だけど、ばったり会ったんです。向こうは気づかなかったけど、もしかしたら小三郎が一緒にいるかもしれねえと思って、後を付けてみたんです」
「おっ、それで、どうした?」
「後を付けてったら、鶴八兄貴のうちに入(へえ)って行ったんです」
「あんな裏切り者はもう兄貴じゃねえや、馬鹿野郎!」
「小三郎の女が鶴八の女になったのか?」と円蔵が聞いた。
「鶴八には女房も子供もいるはずだぜ。妾にしたとしても一緒に暮らすのはおかしいぜ」
「小三郎が凶状持ちになり、店にいられなくなって鶴八が面倒みてやってんじゃねえのかい?」と丈太郎が言った。
「そのようです」と久次郎はうなづいた。
「離れを借りて暮らしてました」
「そのようですじゃねえや。何で、その事にもっと早く気が付かねんだ、このうすのろが」
「へい、すっかり忘れてました。それに、一年も前の事ですよ。今、いるかどうか‥‥‥」
「久次、おめえ、今からすっ飛んで行って確かめて来い」と忠次は命じた。
俺も一緒に行くぜと丈太郎も付いて行った。
久次郎は夜になって戻って来た。
「うまく行ったのかい?」
みんなが期待して集まって来た。
「鶴八んとこにはもういなかったんですけど、何とか見つけ出す事ができました」
「ほう、それで、小三郎の野郎は片付けたのかい?」
「それが、俺がウロウロしてるとやべえから帰(けえ)れって言われて‥‥‥」
「見届けねえで帰って来たんか?」
「へい。親分に迷惑がかかるから、さっさと帰れって」
「まあ、いい。丈太郎さんが失敗する事はあるめえ」
次の日、伊与久村は大騒ぎとなった。が、小三郎が殺されたのではなく、小三郎とおふさの心中事件だった。
「伊三郎の奴が小細工しやがった」と円蔵は苦笑した。
「何で、そんな小細工なんかするんでえ?」
文蔵には分からなかった。
「伊三郎の奴はな、新五郎を殺した下手人は小三郎だと八州様に訴えて手配させたんだ。てめえで手配した者を庇うわけにもいかねえ。かといって、てめえの命令に従って仕事をした者を取っ捕まえれば、子分たちの信用をなくしちまう。伊三郎は小三郎の処分に困っていたに違えねえ。あっしらが小三郎を殺してくれるのを待っていたのかもしれねえぜ」
「成程‥‥‥」と忠次は唸った。
「しかし、小三郎殺しを心中で片付けるのは解せねえ」
「小三郎を殺した下手人が役人に取っ捕まって、からくりがばれるのを恐れたのよ。伊三郎の書いた筋書きはな、小三郎が新五郎の女に横恋慕して、強引にやっちまった。それを新五郎が怒って小三郎を斬りに行ったが逆に殺されたってえ筋書きだ。その筋書きには伊三郎は一切関係ねえのよ。ところが、下手人が捕まって、小三郎が百々一家から島村一家に鞍替えしてた事が分かり、さらに、小三郎の女が鶴八の厄介になってた事まで分かっちまえば、伊三郎としてもどうしょうもねえ立場に追い込まれんのよ。小三郎の女が伊三郎に命じられたから新五郎を殺したなどと言ってみろ、今まで人を殺した事がねえと自慢してる伊三郎の信用はがた落ちだぜ」
「汚ねえ事をしやがる」
文蔵は吐き捨てた。
「それじゃア、小三郎は伊三郎に利用されただけじゃねえか」
「代貸にしてやるとか言われて、躍らされたんだんべえ。おめえたちも小三郎の二の舞えを踏むんじゃねえぜ。伊三郎の奴は境のシマを諦めちゃアいねえ。百々一家を境から追い出して、すべてを自分のものにするつもりだ」
「そろそろ、向こうから仕掛けて来るかい?」
忠次は円蔵に聞いた。
「多分な。表向きは心中事件で済ませたが、それをネタに何か言い掛かりを付けて来るかもしれねえ。小三郎の件は一切、知らねえとしらを切った方がよさそうだな。それに、今まで以上に騒ぎを起こさねえようにしなけりゃなんねえ。十手に物を言わせて、ちょっとした騒ぎを起こしただけでもしょっ引かれるかもしれねえぜ。とにかく、堅気の衆と面倒を起こしちゃなんねえ。堅気の衆を味方に付けりゃア、伊三郎の奴は手も足も出せねえからな」
円蔵に言われた通り、忠次たちは堅気の衆たちと仲良くやり、伊三郎の子分たちに何を言われてもじっと耐えていた。
四月になって忠次は円蔵と一緒に世良田の弥七の所に出向いた。
弥七を倒すうまい考えが浮かばない円蔵は思い切って、弥七と親しくなってしまえと考えた。円蔵は弥七に一度会った事があり、面倒見のいい温厚な親分だと見ていた。伊三郎と忠次が争っている事を知っていても、下手(したで)になって近づいて行けば邪険にはしないだろうと挨拶に行ってみる事にした。
忠次が弥七の所に出入りして伊三郎がどんな反応を示すかまったく分からなかった。半と出るか丁と出るか、円蔵と忠次は大きな賭けに出てみた。うまく行けば、弥七と伊三郎の間に溝ができ、下手(へた)をすれば、その場で取り押さえられて闇討ちに会う事も考えられた。しかし、弥七が伊三郎のために、忠次を殺す事はないと円蔵は見極めていた。
忠次が来た事を知ると弥七の子分たちは殴り込みかと慌てたが、忠次が二人だけで来て、しきたり通りの仁義を切ると安心して仁義を受けた。
「まさか、おめえさんが挨拶に来るとは驚きだぜ」
弥七はたぬきのような顔をして笑った。
「親分さんの噂はかねてから聞いておりやす。もうちっと早くに挨拶に参(めえ)りたかったんでごぜえますが、うちとしても色々とゴタゴタがありまして、挨拶が遅れてしめえやした。まだ駆け出し者(もん)でごぜえますが、以後、よろしくお願いいたしやす」
「なあに、こっちこそ、おめえさんの噂はたっぷりと聞いてるぜ。若えわりには顔が広え。襲名披露の時、集まって来た親分さんの顔触れを見て、まったく恐れいったぜ。大前田の親分さん(要吉)は余程の事がねえ限り、腰を上げねえとの評判だ。その親分さんがわざわざ出向いて来るなんざ、おめえさんは余程の大物だぜ。それに一家を張ってからも、力づくで縄張りを広げる事もなく、女の壷振りを使って客を集めるなんざ、誰にでもできる芸当じゃアねえ。今だから言うが、もし、おめえさんが力づくに出たら、今頃はうちの親分に潰されていたぜ。おめえさんが長脇差を振り回さねんで、うちの親分も手が出せねえのよ。俺もおめえさんには一度、会って見てえと思ってたんだ」
「お褒めの言葉、ありがとうごぜえやす」
「それで、何でえ? わざわざ、挨拶するために敵地に乗り込んで来たわけでもあるめえ」
「お察しのいい事で」と忠次の後ろに控えていた円蔵が言った。
「おめえさんは確か、前(めえ)に福田屋の親分さんと一緒に来なすったが、忠次の子分になったんかい?」
「いえ」と忠次が答えた。
「お客人として、色々と勉強させて貰っておりやす」
「ほう、そうかい」
「あっしは忠次親分の心意気に惚れましてね。忠次親分を男にしてえと思ってるんでごぜえます。そこで親分さんに頼みがごぜえます」
「何でえ、言ってみな」
「へい、世良田の祇園祭りの賭場に忠次親分も参加させておくんなせえまし。世良田の祇園祭りと言やア、関東中の親分衆が集まるとの評判でごぜえます。是非とも、忠次親分にもその仲間入りをさせておくんなせえ」
「うーむ、俺としちゃア参加させてやっても構わねえがな、うちの親分が何と言うかのう」
「祇園祭りの盆割りは親分さんが仕切ってるんじゃねえんですかい?」
「一応、俺が仕切っちゃアいるが‥‥‥」
「親分さん、お願えしやす」と忠次と円蔵は頭を下げた。
「今まで、百々一家は境を仕切っていた。同じ頃、境にも祇園祭りがあって盆割りはうちがやって来た。しかし、今じゃア境の半分以上は島村一家に取られちまった。せめて、世良田の祇園祭りに参加して、百々一家も健在だってえ所を見せてやりてえんですよ」
「しかしなア‥‥‥」
「挨拶代わりといっちゃア何ですが、これをお納め下せえ」
円蔵は弥七に十両の包みを渡した。
「まあ、考えておこう」と弥七は笑った。
その後、円蔵は度々、弥七のもとを訪れ、親しくなって行った。
六月になり世良田の祇園祭りが始まった。
忠次は田部井村にいた弁天のおりんを連れて参加し、賭場を開いた。袖の下が効いたとみえて、忠次の賭場は最上とは言えないまでも、結構、いい場所だった。
見回りに来た伊三郎が忠次とおりんに気づき、変な顔をしたが回りに親分衆がいたので、何も言わずに通り過ぎて行った。各地の親分たちもおりんの噂は聞いていて、一目見たさにやって来た。今、売り出し中の忠次と伊三郎の所にいた女壷振りのおりんの組み合わせは親分衆たちの評判になった。
「島村の親分も大(てえ)した親分だぜ。対抗してる忠次におりんをくれてやり、しかも、シマ内の世良田の祇園祭りに忠次とおりんを参加させるなんざ、器量が大きいねえ」と褒める者もいれば、
「伊三郎親分もおりんを忠次に取られて、そのうち、シマまでそっくり取られちまうんじゃねえのか」と陰口をたたく者もあった。
伊三郎は悪口を言われても怒る事なく、祭りの間中、始終ニコニコしながら、親分衆の機嫌を取っていた。何の騒ぎも起こらず、祇園祭りは無事に終わった。忠次からみれば、各地の親分衆とも近づきになれ、決して十両は無駄にはならなかった。伊三郎から見れば、忠次の存在を許す程、器の大きな親分だと褒められたお陰で、忠次を潰す事ができなくなってしまったのは辛かった。
七月の国定村の赤城神社の祭りが終わった頃、ひょっこりと大前田の栄五郎が百々村に顔を出した。六年振りの再会だった。
「おめえの噂をあちこちで聞いたぜ。紋次の跡目を継いで立派にやってるそうじゃねえか」
「いえ、一家を潰さねえように必死で頑張ってるだけです」
「色々とあったらしいな。俺もな、栄次のお陰でようやく久宮一家と和解ができた。まだ、落ち着く気はねえが、上州に帰って来られる身となったぜ」
「えっ、そうですか。そいつはどうも、おめでとうごぜえやす。叔父御が大前田にいてくれたら、何かと心強えですよ」
「いや、大前田には帰らねえよ。大前田にゃア兄貴がいるからな、俺が帰ったら、兄貴だってやりづらくなるだんべえ。今すぐってわけじゃねえが、大胡に落ち着こうと思ってるんだ」
「大胡といやア赤城山の入り口ですね。三夜沢(みよさわ)の赤城神社も大前田一家が仕切ってるんですか?」
「ああ、三夜沢もそうだし、その先の湯の沢の湯治場(とうじば)もうちのシマだ。ただし、お山のてっぺんは今んとこ、空いてるぜ」
「お山のてっぺんで賭場を開くんですか?」
「そうだ。四月の山開きん時は大層な賑わいだ。賭場を開けば稼げる事は確かだぜ」
「成程‥‥‥でも、どうして大前田一家はそれをやらねんですか?」
「山開きん時、おめえも一緒にお山に登ってみりゃア分かるよ。あっちこっちで博奕をやってるぜ。役人どもがお山のてっぺんまでやって来る事アまずねえからな。そんなとこでテラ銭が取れるわけはねえ」
「それじゃア、しょうがねえじゃねえですか」
「うむ。普通の賭場を開いても客は集まって来ねえ。工夫が必要だな」
栄五郎はニヤリと笑った。
「客を集める工夫ですか‥‥‥」と忠次は考えてみた。
「関八州の親分衆をずらりと勢揃いさせりゃアいいのさ。客はテラ銭を出しても集まって来るぜ」
「えっ、赤城山のてっぺんに親分衆を集めるんですか?」
「そうよ、やってみねえか?」
「俺がやるんですか?」
「おう、おめえがやるんだ」
「どうして、叔父御がやらねえんで?」
「俺は大前田一家の親分じゃねえ。親分は兄貴だ。兄貴はそういう派手な事は嫌えでな、俺もやりてえんだが、俺がやるわけにゃアいかねんだ。今のおめえじゃ、まだ無理かもしれねえが、いつか、そいつをやってみちゃアくれねえか? おめえがやるとなりゃア、俺も手伝わせてもらうぜ」
「はい。是非、やってみてえもんです」
「楽しみにしてるぜ」
その日は丁度、境の市日だった。
栄五郎は賑やかな絹市を見て回り、伊勢屋の賭場で遊んだ。
栄五郎がどんな勝負をするのか忠次は期待を込めて見守っていたが、栄五郎は気持ちのいいくらいの負けっ振りだった。
「いいか、忠次、堅気の衆と勝負する時は、決して勝っちゃアいけねえよ」と賭場を出た後、栄五郎は言った。
「俺たちゃア、堅気の衆におマンマを食わせて貰ってる身だ。おめえも旅先で賭場に出入りする事もあるだんべえが、親分と呼ばれる者が旅先の賭場で稼ごうなんて料簡(りょうけん)を起こしちゃアいけねえ。旅先の賭場では気前(きめえ)よく負けてこそ、親分の貫録ってえもんだ。覚えておけ」
「へい‥‥‥」
栄五郎は名古屋にし残した事があるからと、次の日、旅立って行った。
「紋次の事を頼むぜ」と栄五郎は最後に言った。
「大(てえ)した貫録だなア」
栄五郎を見送りながら、円蔵とおりんはうなづき合った。