国定忠次 1810-1850 上州佐位郡国定村の富農、長岡与五左衛門の長男に生まれる。本名は長岡忠次郎。
日光の円蔵 1802-1843 野州都賀郡落合村に生まれる。寺に入れられ晃円と名乗るが、寺を逃亡して日光の円蔵を名乗り、無宿者となる。忠次と出会い、軍師として活躍する。
弁天のおりん 1806-不詳 伊勢国出身の女渡世人。旅先で円蔵と出会い、妻となる。
三ツ木の文蔵 1809-1838 忠次の子分。上州新田郡三ツ木村の貧しい農家に生まれる。手裏剣の名手。
国定の清五郎 1810-不詳 忠次の子分。国定村の富農、松原清兵衛の次男に生まれる。
五目牛の千代松 1810-1846 忠次の子分。上州佐位郡五目牛村の富農、菊地家の長男に生まれる。
曲沢の富五郎 1810-1842 忠次の子分。上州佐位郡曲沢村の富農の次男に生まれる。
吉祥天のお辰 1810-1842 忠次の子分。上州桐生町の車屋の娘で、家を飛び出し女渡世人となり、旅から旅へと渡り歩き、忠次と出会って子分になる。
保泉の久次郎 1811-1842 忠次の子分。上州佐位郡保泉村に生まれる。
神崎の友五郎 1811-1838 忠次の子分。下総国出身。
田部井の又八 1812-1842 忠次の子分。上州佐位郡田部井村の富農の三男に生まれる。
山王道の民五郎 1812-1841 忠次の子分。上州那波郡山王道村の繭買商人の家に生まれる。居合抜きの名手。
甲斐の新十郎 1812-不詳 忠次の子分。甲斐国出身。
国定の次郎 1813-不詳 忠次の子分。国定村の富農の長男に生まれる。
八寸の才市 1813-1838 忠次の子分。上州佐位郡八寸村に生まれる。鉄砲の名人。
上中の清蔵 1814-不詳 忠次の子分。上州新田郡上中村に生まれる。三ツ木の文蔵の妹、おやすの夫。
観音のお紺 1815-不詳 忠次の子分。上州群馬郡水沢村に生まれる。
新川の秀吉 1815-1843 忠次の子分。上州勢多郡新川村に生まれる。
太田宿の日新 1815-1842 忠次の子分。上州太田宿に生まれる。
下植木の浅次郎 1816-1842 忠次の子分。上州佐位郡下植木村に生まれる。父親が屋根職人だったため、板割の浅次郎とも呼ばれる。
羽衣のお藤 1817-不詳 忠次の子分。田部井村に生まれる。弁天のおりんの弟子となり、国定一家の壷振りになる。
お鶴 1808-1876 忠次の妻。上州佐位郡今井村の旧家、桐生家の娘。
お町 1810-1870 忠次の妾。田部井村の富農、尾内市太夫の娘。幼い頃、両親を亡くし、親類で名主を務める尾内小弥太の養女となる。
田部井の嘉藤太 1807-1863 忠次の兄弟分。お町の実兄。本名は庄八。
三室の勘助 1800-1842 上州佐位郡三室村の名主、中島勘蔵の長男。
百々の紋次 1793-1842 百々一家の親分。上州佐位郡百々村の羽鳥家の次男に生まれる。
木島の助次郎 1791-1848 百々一家の代貸。上州佐位郡木島村の大谷助右衛門の長男に生まれる。
境の新五郎 1794-1830 百々一家の代貸。上州佐位郡境宿に生まれる。
玉村宿の佐重郎 1794-1857 上州那波郡玉村宿の旅籠屋角万屋の主人であり、博奕打ちの親分。関東取締出役の道案内を務める。
大前田の要吉 1786-1867 大前田一家の親分。上州勢多郡大前田村の富農、田島久五郎の長男。
大前田の栄五郎 1793-1874 要吉の実弟。旅で名を売った大親分。
獅子ケ嶽の重五郎 1798-1864 武州藤久保村の親分。大前田栄五郎の弟分。
高萩の万次郎 1805-1885 武州高萩村の名主、清水弥五郎の長男。鶴屋一家の親分。
福田屋栄次郎 1793-不詳 上州勢多郡月田村に生まれる。大前田栄五郎の兄弟分。前橋の旅籠屋、福田屋の養子となり、関東取締出役の道案内を務める。
栗ケ浜の半兵衛 1794-不詳 上州佐位郡伊勢崎町に生まれる。伊勢崎一家の親分。大前田栄五郎の兄弟分。
茗荷松の源蔵 1790-1842 上州利根郡川田村の川田一家の親分。百々の紋次の兄弟分。
八寸村の七兵衛 1791-1859 佐位郡八寸村の親分。百々の紋次の兄弟分。
合の川の政五郎 1788-1860 上州邑楽郡大高島村の船問屋、高瀬仙右衛門の次男に生まれる。旅で名を売った大親分。信州の権堂村に落ち着き、女郎屋を営み上総屋源七を名乗る。
島村の伊三郎 1790-1834 上州佐位郡島村河岸の船問屋、町田家に生まれる。島村一家の親分。関東取締出役の道案内を務める。
平塚の助八 1790-不詳 伊三郎の代貸。
世良田の弥七 1793-1834 伊三郎の代貸。
不流三左衛門 1804-1874 上州佐位郡萩原村の香具師の大親分。
西野目宇右衛門 1796-1850 田部井村の富農、西野目家に生まれ、本間道場の師範代を務め、後、名主になる。
本間千五郎 1784-1874 上州佐位郡赤堀市場村の剣術道場の主人。丹頂と号し、俳人としても有名。
加部安左衛門 1804-1862 上州吾妻郡大戸宿の分限者。
お篠 1814-不詳 信州野沢の湯宿の女将。
お徳 1816-1889 群馬郡中里村の岸家に生まれる。忠次の子分、千代松の妻となる。
お貞 1825-不詳 上州佐位郡伊与久村の名主、大谷益左衛門の三女。
寅次郎 1844-1867 忠次の長男。野州都賀郡大久保村で育つ。忠次の死後、十歳の時、出家し、永野村長谷寺に入る。十五歳の時、出流山千手院、満願寺の大宝観秀の弟子となり千乗を名乗る。慶応三年十二月、大谷刑部国次と名乗り、出流山で旗揚げした勤王倒幕軍に加わるが、幕府軍に敗れ、処刑される。
高野長英 1804-1850 陸奥国水沢に生まれる。長崎に渡り、シーボルトに学ぶ。蘭方医。
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