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2025.02.02 -
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主要登場人物

2008.11.12 - 主要登場人物
国定忠次     1810-1850  上州佐位郡国定村の富農、長岡与五左衛門の長男に生まれる。本名は長岡忠次郎。
日光の円蔵    1802-1843  野州都賀郡落合村に生まれる。寺に入れられ晃円と名乗るが、寺を逃亡して日光の円蔵を名乗り、無宿者となる。忠次と出会い、軍師として活躍する。
弁天のおりん   1806-不詳  伊勢国出身の女渡世人。旅先で円蔵と出会い、妻となる。
三ツ木の文蔵   1809-1838  忠次の子分。上州新田郡三ツ木村の貧しい農家に生まれる。手裏剣の名手。
国定の清五郎   1810-不詳  忠次の子分。国定村の富農、松原清兵衛の次男に生まれる。
五目牛の千代松  1810-1846  忠次の子分。上州佐位郡五目牛村の富農、菊地家の長男に生まれる。
曲沢の富五郎   1810-1842  忠次の子分。上州佐位郡曲沢村の富農の次男に生まれる。
吉祥天のお辰   1810-1842  忠次の子分。上州桐生町の車屋の娘で、家を飛び出し女渡世人となり、旅から旅へと渡り歩き、忠次と出会って子分になる。
保泉の久次郎   1811-1842  忠次の子分。上州佐位郡保泉村に生まれる。
神崎の友五郎   1811-1838  忠次の子分。下総国出身。
田部井の又八   1812-1842  忠次の子分。上州佐位郡田部井村の富農の三男に生まれる。
山王道の民五郎  1812-1841  忠次の子分。上州那波郡山王道村の繭買商人の家に生まれる。居合抜きの名手。
甲斐の新十郎   1812-不詳  忠次の子分。甲斐国出身。
国定の次郎    1813-不詳  忠次の子分。国定村の富農の長男に生まれる。
八寸の才市    1813-1838  忠次の子分。上州佐位郡八寸村に生まれる。鉄砲の名人。
上中の清蔵    1814-不詳  忠次の子分。上州新田郡上中村に生まれる。三ツ木の文蔵の妹、おやすの夫。
観音のお紺    1815-不詳  忠次の子分。上州群馬郡水沢村に生まれる。
新川の秀吉    1815-1843  忠次の子分。上州勢多郡新川村に生まれる。
太田宿の日新   1815-1842  忠次の子分。上州太田宿に生まれる。
下植木の浅次郎  1816-1842  忠次の子分。上州佐位郡下植木村に生まれる。父親が屋根職人だったため、板割の浅次郎とも呼ばれる。
羽衣のお藤    1817-不詳  忠次の子分。田部井村に生まれる。弁天のおりんの弟子となり、国定一家の壷振りになる。
お鶴       1808-1876  忠次の妻。上州佐位郡今井村の旧家、桐生家の娘。
お町       1810-1870  忠次の妾。田部井村の富農、尾内市太夫の娘。幼い頃、両親を亡くし、親類で名主を務める尾内小弥太の養女となる。
田部井の嘉藤太  1807-1863  忠次の兄弟分。お町の実兄。本名は庄八。
三室の勘助    1800-1842  上州佐位郡三室村の名主、中島勘蔵の長男。
百々の紋次    1793-1842  百々一家の親分。上州佐位郡百々村の羽鳥家の次男に生まれる。
木島の助次郎   1791-1848  百々一家の代貸。上州佐位郡木島村の大谷助右衛門の長男に生まれる。
境の新五郎    1794-1830  百々一家の代貸。上州佐位郡境宿に生まれる。
玉村宿の佐重郎  1794-1857  上州那波郡玉村宿の旅籠屋角万屋の主人であり、博奕打ちの親分。関東取締出役の道案内を務める。
大前田の要吉   1786-1867  大前田一家の親分。上州勢多郡大前田村の富農、田島久五郎の長男。
大前田の栄五郎  1793-1874  要吉の実弟。旅で名を売った大親分。
獅子ケ嶽の重五郎 1798-1864  武州藤久保村の親分。大前田栄五郎の弟分。
高萩の万次郎   1805-1885  武州高萩村の名主、清水弥五郎の長男。鶴屋一家の親分。
福田屋栄次郎   1793-不詳  上州勢多郡月田村に生まれる。大前田栄五郎の兄弟分。前橋の旅籠屋、福田屋の養子となり、関東取締出役の道案内を務める。
栗ケ浜の半兵衛  1794-不詳  上州佐位郡伊勢崎町に生まれる。伊勢崎一家の親分。大前田栄五郎の兄弟分。
茗荷松の源蔵   1790-1842  上州利根郡川田村の川田一家の親分。百々の紋次の兄弟分。
八寸村の七兵衛  1791-1859  佐位郡八寸村の親分。百々の紋次の兄弟分。
合の川の政五郎  1788-1860  上州邑楽郡大高島村の船問屋、高瀬仙右衛門の次男に生まれる。旅で名を売った大親分。信州の権堂村に落ち着き、女郎屋を営み上総屋源七を名乗る。
島村の伊三郎   1790-1834  上州佐位郡島村河岸の船問屋、町田家に生まれる。島村一家の親分。関東取締出役の道案内を務める。
平塚の助八    1790-不詳  伊三郎の代貸。
世良田の弥七   1793-1834  伊三郎の代貸。
不流三左衛門   1804-1874  上州佐位郡萩原村の香具師の大親分。
西野目宇右衛門  1796-1850  田部井村の富農、西野目家に生まれ、本間道場の師範代を務め、後、名主になる。
本間千五郎    1784-1874  上州佐位郡赤堀市場村の剣術道場の主人。丹頂と号し、俳人としても有名。
加部安左衛門   1804-1862  上州吾妻郡大戸宿の分限者。
お篠       1814-不詳  信州野沢の湯宿の女将。
お徳       1816-1889  群馬郡中里村の岸家に生まれる。忠次の子分、千代松の妻となる。
お貞       1825-不詳  上州佐位郡伊与久村の名主、大谷益左衛門の三女。
寅次郎      1844-1867  忠次の長男。野州都賀郡大久保村で育つ。忠次の死後、十歳の時、出家し、永野村長谷寺に入る。十五歳の時、出流山千手院、満願寺の大宝観秀の弟子となり千乗を名乗る。慶応三年十二月、大谷刑部国次と名乗り、出流山で旗揚げした勤王倒幕軍に加わるが、幕府軍に敗れ、処刑される。
高野長英     1804-1850  陸奥国水沢に生まれる。長崎に渡り、シーボルトに学ぶ。蘭方医。
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忠次の生きた時代背景

2009.03.29 - 創作ノート
文化 7年 (1810) 忠次、国定村に生まれる。
文化 8年 (1811) 式亭三馬の『浮世床』の初編が刊行される。
文化 11年 (1814) 曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』第一輯が刊行される。
文化 13年 (1816) 浦賀にイギリス船、渡来する。
文政 3年 (1820) 江戸の戯作者、十返舎一九、吾妻郡草津村の俳人、黒岩鷺白を訪れる。
文政 4年 (1821) 貞然、長岡家の菩提寺、養寿寺の住職となり、寺子屋を営む。
文政 5年 (1822) 吾妻郡内の商人ら、同郡大戸村の加部安左衛門の手先商人となり、繭、麻、煙草などを集荷する。
文政 8年 (1825) 江戸中村座で『東海道四谷怪談』が初演される。
文政 9年 (1826) 幕府、無宿者・農民・町人の長脇差携帯を禁止する。
文政 10年 (1827) 幕府、関東全域の取締り強化のため、取締出役の下に改革組合村を設置する。
文政 11年 (1828) 館林藩士、生田万、藩領外に追放され浪人となる。
          幕府、シーボルトを長崎出島に幽閉する。
          武州久下村出身の蘭医、村上随憲、上州境宿で開業する。
文政 12年 (1829) 葛飾北斎、『富嶽三十六景』を描く。
天保 元年 (1830) おかげ参りが大流行する。
天保 3年 (1832) 鼠小僧次郎吉、江戸小塚原で処刑される。
          天保の飢饉が始まる。
天保 4年 (1833) 歌川広重、『東海道五十三次』を描く。
          諸国、飢饉となり、各地に打ち壊しが起こる。
天保 5年 (1834) 国定忠次、島村の伊三郎を殺す。
天保 7年 (1836) 諸国、飢饉となる。奥羽は最も甚だしく死者十万に及ぶ。
天保 8年 (1837) 大坂町奉行所与力、大塩平八郎、大坂で乱を起こす。
          生田万、越後国柏崎の陣屋を襲撃して自刃する。
          徳川家慶、十二代将軍となる。
天保 10年 (1839) 幕府批判等により、渡辺華山・高野長英が捕らえられる。
          水野忠邦、老中筆頭となる。
天保 11年 (1840) イギリス・清国間にアヘン戦争が起こる。
          遠山金四郎、江戸北町奉行になる。
天保 12年 (1841) 幕府、天保の改革を始める。
          関東取締出役に臨時取締出役二十六人が加えられる。
天保 13年 (1842) 幕府、人情本を禁じ、為永春水・柳亭種彦を処罰する。
天保 14年 (1843) 水野忠邦、老中を罷免される。
弘化 元年 (1844) 江戸城本丸焼失する。
          水野忠邦、再度、老中筆頭になる。
弘化 2年 (1845) 幕府、浦賀に砲台を築く。
          水野忠邦、病気を理由に老中を辞職する
弘化 4年 (1847) 善光寺大地震。
嘉永 元年 (1848) 幕府、信州松代藩の佐久間象山に洋式野鉄砲を造らせる。
          外国船、頻繁に渡来する。
弘化 2年 (1849) 関東取締出役が増員され、三地域分担制が拡大される。
弘化 3年 (1850) 国定忠次、大戸で処刑される。
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浪曲 国定忠治 名月赤城山(1/5)

2009.12.26 - 動画
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「侠客国定忠次一代記」が電子書籍になりました

2013.05.20 - 電子書籍

侠客国定忠次一代記



侠客(おとこだて)国定忠次一代記」がアマゾンのキンドルで電子書籍として発売されました。
よろしくお願いいたします。




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