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2017.08.21 -
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15 八幡様の賭場を仕切って、男を売るぜ

2008.09.11 - 侠客国定忠次一代記

 田部井(ためがい)村に新居が完成したのは四月の半ばの暑い日だった。

 忠次は子分たちを集め、新築祝いを行なった。その日は生憎の雨降りだったが、縄張り内の旦那衆が大勢集まって来た。近所の女衆たちも手伝ってくれ、祭りさながらの賑やかさだった。

 お町はニコニコしながら忠次を連れて家の中を見て回り、新しい鏡台や化粧道具、衣桁(いこう)に飾られた半四郎鹿(か)の子の小袖を嬉しそうに披露した。長火鉢に煙草盆、布団に夜着(よぎ)、行灯(あんどん)に蚊帳(かや)、食器類から洗濯道具まで、何から何まで揃っていた。それらの家具は縄張り内の旦那衆や子分たちから贈られた物だった。

「凄いわ、夢みたい」

 お町は嬉しそうに忠次に抱き着いた。

 忠次は田部井村に移ると『百々一家』から『国定一家』と名を改めた。

 百々村の家は文蔵とお辰夫婦に任せる事にした。軍師の円蔵がおりんと一緒に境宿に住んでいるので、忠次としても安心だった。そして、国定村には清五郎、田部井村には佐与松、曲沢村には富五郎、五目牛村には千代松を代貸として置き、それぞれ、子分を持つ事を許した。

 境宿の市日の賭場は文蔵、神崎の友五郎、甲斐の新十郎の三人を代貸とし、例幣使(れいへいし)街道に沿って柴宿には啓蔵、堀口村には佐助、馬見塚村には佐太郎、蓮沼村には菊三郎、武士村には山王道の民五郎を代貸として置き、その他、韮塚村に梅次、保泉村に久次郎、茂呂村に孫蔵を置いた。田部井村と境宿のほぼ中央の八寸村には子分ではないが、忠次に忠実な叔父御、七兵衛がいた。

 さらに、今年になって平塚の助八が忠次の勢力を恐れて、傘下に入れてくれと言って来た。助八が忠次になびくと、世良田の茂吉も頭を下げて来た。何もかもが順調に進み、忠次としては笑いが止まらない程だった。忠次は助八の代貸で中島を仕切っていた為次を助八と切り離して、中島を任せ、助八には平塚だけを任せる事にした。世良田の茂吉はそのまま、忠次の代貸となった。

 忠次は十八人の代貸を持つ大親分となり、田部井村から睨みを利かせていた。

 その頃、忠次は子分たちが自分の事を『親分』と呼ぶのを禁止し、『旦那』と呼ばせる事にした。それは高萩の万次郎に会った時から考えていた事だったが、なかなか言い出す機会がなかった。国定一家と名称を変えたのを機に子分たちに命じる事にした。

 忠次が新居に移った頃より、毎日雨降りが続いた。すぐにやむだろうと誰もが思っていたが、その雨はやむ事なく降り続いた。夏になっても暑くはならず、袷(あわせ)を脱ぐ事ができなかった。それでも、雨の中、世良田の祇園祭りは盛大に行なわれ、忠次が祭礼賭博を仕切って、上州一円の親分衆を集めた。

 各地で天気祭りが行なわれたが、雨は一向にやまず、稲の穂は出揃わず、米の相場は急速に上がって行った。四月に金一両で六斗五升の米が買えたのが、七月になると四斗しか買う事ができなくなった。米の値上がりは境の絹市にも影響し始め、取り引きに訪れる客の数も少しづつ減って行った。

 大雨で利根川を初めとした河川は氾濫(はんらん)し、中島、平塚、島村などの河岸(かし)は大損害を被(こうむ)った。

 忠次も子分たちを連れて、河岸の修繕に赴いたり、人足たちを集めるための臨時の賭場を開いたり、何かと忙しかった。そんな頃、玉村の佐重郎親分が忠次を訪ねて来た。

「来月の八幡様の祭りをおめえに主催してもらおうと思ってんだが、どうでえ、やってみねえか?」と佐重郎は突然、言った。

「えっ、俺が主催するんですか?」

 忠次は驚き、信じられないという顔で佐重郎の顔を見た。

 佐重郎は笑いながら、うなづいた。

「やってみねえか?」

「あのう、八幡様の盆割りの権利は京蔵が持ってると聞いてましたが‥‥‥」

「その京蔵から、俺が預かったんだ」

「預かったんですか?」

「国越えしてた京蔵はな、五月に甲州から帰って来たんだ。弟の主馬がおめえにやられたと聞いて、一時は殴り込みを掛けるって息巻いてたんだが、おめえのシマが柴宿から世良田まであり、子分が百人以上もいると聞いてな、恐れをなして逃げて行きやがったのよ。そん時、八幡様の盆割りを俺に預けて行ったってえわけだ」

「そうだったんですか‥‥‥それで、弟の主馬の奴も逃げたんですか?」

「いや、奴はまだ玉村近辺に潜(ひそ)んでるらしいぜ。兄貴が一家をたたんで甲州に行っちまったため、主馬は殺された常蔵の子分たちに五料から叩き出されたらしい。おめえを恨んで、おめえの命を狙ってるんかもしれねえ。気を付けた方がいいぜ。先代の親分に甘やかされて育てられたからな、何でも自分の思い通りになると思ってやがる。それが今の様だ。おめえを付け狙うに違えねえぜ」

「へい、気を付けます」

「ところで、八幡様の事だがな、天気は悪(わり)いし、物価は上がる一方だ。ここんとこ、いい事が何もねえ。縁起直しに各国の親分衆を玉村に呼んで、景気よく騒いでみねえか?」

「えっ、各国の親分衆を呼ぶんですか?」

「そうだ。おめえの名は上州じゃ有名になった。しかし、まだまだ、中山道筋、東海道筋の親分衆にゃア知られちゃいねえ。今のおめえにゃア勢いがある。今こそ、でっけえ賭場を仕切って男を上げる時期だぜ」

「しかし、俺は東海道筋の親分なんて知らねえし‥‥‥」

「なあに、その辺のとこは俺に任せておけ」

 佐重郎は煙管(きせる)を取り出すと煙草を詰め始めた。忠次は煙草盆を佐重郎の前に用意した。

「親分、どうして、俺のためにそんなにまで」

「前(めえ)に言ったんべえ、おめえの親父にゃア恩があるってな。それに、親分衆を呼ぶんは玉村のためでもあるんだよ。こう不景気になるとよ、女郎屋も上がったりだ。各国の有名な親分衆を集めりゃア、当然、上州の親分衆も集まる。玉村は大賑わいだぜ」

「成程、そういうわけだったんですか」

「そういう事だ。なっ、頼むぜ」

「玉村の八幡宮の賭場を仕切るなんて夢みてえな話です。俺でよかったら、是非、やらせてくだせえ」

「よおし、決まった。盛大な祭りにしようぜ」

 煙草の煙を吐きながら、佐重郎は忠次の父親の事を話してくれた。

 若い頃、佐重郎は本間道場に通っていた。その時、師範代をやっていたのが忠次の父親、与五左衛門だった。佐重郎は与五左衛門から剣術を習っただけでなく、命を助けてもらった事もあるという。

 剣術を習った事で腕に自信を持った佐重郎は得意顔で喧嘩ばかりしていた。ある日、ちょっとした事が原因で浪人者とやり合う事になってしまった。ぼろ同然の着物を着ていたので、腹をすかせた痩せ浪人だと思ったが、以外にもその腕は凄かった。仲間が斬られ、自分もやられると思った時、止めに入ってくれたのが、たまたま、そこを通りかかった与五左衛門だった。

 その頃、佐重郎は道場をやめて、玉村一家の子分になっていたが、与五左衛門は佐重郎の事を覚えていて助けてくれたのだった。与五左衛門は用があって馬庭(まにわ)村の樋口道場に行く途中だったという。

 与五左衛門が止めに入ったが、浪人者は佐重郎を殺すと言い張り、与五左衛門は仕方なく、刀を抜いた。二人は刀を構えて、しばらく睨み合っていた。やがて、浪人者が気合と共に与五左衛門に斬り掛かって行った。与五左衛門がやられると思った瞬間、浪人者の刀が宙に舞った。負けた浪人者は座り込み、殺せと叫んだが、与五左衛門は首を振った。

 佐重郎は自分の未熟さと与五左衛門の強さを思い知らされた。

 本物の強さとは何か、という事を与五左衛門から身をもって教えられ、以後、剣術の修行を続けると共に、つまらない喧嘩をしなくなった。佐重郎はその時の恩が忘れられず、いつか、恩返ししようと思っていたが、与五左衛門は急に病死してしまった。それで、伜の忠次に恩返しをしているのだと言って笑った。

「今の俺がいるのは、あん時、おめえの親父に助けられたお陰なんだ。命を助けられただけじゃねえ。本物の男ってえもんをおめえの親父から教わったんだよ」

「本物の男ですか‥‥‥」

「そうさ、おめえも親父に負けねえ本物の男になれよ」

 佐重郎は忠次の案内で桐屋の賭場に顔を出し、堅気の衆相手に簡単に五両負けた。その時、壷を振っていたのは羽衣のお藤だった。

「いい女だねえ。今度、玉村で壷を振っておくれ」と言うと機嫌よく帰って行った。

 忠次は佐重郎の話を円蔵に相談した。

「どうも、話がうますぎやしねえか?」

「うむ、確かにうめえ話だな。玉村の八幡様の祭礼賭博と言やア、世良田の祇園さんの賭博以上に、各国の親分衆には有名だ。何しろ、玉村と言やア上州一の女郎が揃ってるからな。飲む、打つ、買うと三拍子が揃えば、親分衆も集まって来るぜ」

「玉村の親分を信じねえわけじゃねえが、何かうますぎるぜ」

「なあに、心配する事アねえ。玉村の八幡様は佐重郎親分の本家筋が仕切って来た賭場だ。ところが本家は甲州に逃げちまった。佐重郎親分が本家から盆割りの権利を預かったとしても、各地から来た親分衆はどう思う? 佐重郎親分が本家を追い出して、権利を奪い取ったと思うに決まってらア。義理を重んじるこの渡世で本家に楯突いたと評判が立ちゃア、佐重郎親分としても生きちゃアいられねえ。かといって、毎年やって来た祭礼賭博をやめるわけにもいかねえ。そこで考えたのが旦那に主催してもらう事だったのよ」

「そうか‥‥‥そういう裏があったんか」

「旦那が京蔵を玉村から追い出して八幡宮の権利を奪ったが、佐重郎親分が旦那を説得して、八幡宮の権利を預かったってえ形にしてえのに違えねえぜ」

「成程なア」と忠次は円蔵の顔を見ながら感心していた。

 忠次にはとても、そこまで考える事はできなかった。

「佐重郎親分が何を考えてるにしろ、旦那に損になる事アねえと思うぜ。各国の親分衆に顔を売るんにゃア絶好の機会(きけえ)だ」

 忠次は佐重郎との打ち合わせに円蔵を玉村に送り込んだ。円蔵は忠次に恥をかかせないように佐重郎の代貸と共に祭りの準備を進めて行った。話を聞いて、忠次の叔父御である前橋の福田屋栄次郎もやって来て手伝ってくれた。

 祭りが近づくにつれて、玉村宿には各地から親分衆が集まって来た。

 武州から藤久保の重五郎と高萩の万次郎が揃ってやって来た。

「おうおう、大(てえ)した出世じゃねえかい。おめえを兄弟分に持って、俺も鼻が高えぜ」

 万次郎は大きな体を揺すって、豪快に笑った。

 忠次に負けず、万次郎もすっかり渡世人としての貫録がついていた。本拠地を飯能(はんのう)に移して縄張りを広げ、武州に流れて来た渡世人は必ず、挨拶に訪れる程、有名な親分になっていた。後に、清水の次郎長も万次郎の世話になっている。ちなみにこの時、次郎長はまだ十七歳だった。

 野州佐野から京屋元蔵、総州飯岡から助五郎、江戸から新門辰五郎と相模屋政五郎、甲州から柳町の卯吉(うきち)親分の代理として津向(つむぎ)の文吉がやって来た。甲州からやって来たと聞いて、忠次は京蔵の差し金かと警戒したが、文吉は京蔵の事を知らなかった。忠次が自分と同じ位の若さなのに驚き、大したもんだとしきりに唸っていた。

 遠方の駿河(するが)からは安東の文吉、美濃からは岐阜の弥太郎、尾張(おわり)からは名古屋の久六、越後からは観音寺の勇次郎とそうそうたる親分らがわざわざ来てくれた。

 信州から上総屋源七もやって来た。さすが、源七親分は顔が売れていて、各地の親分たちが入れ替わりに挨拶に訪れていた。忠次も勿論、挨拶に伺った。

「おめえの名もこれで全国に知れ渡るだんべえ。各地から旅人たちも大勢やって来るに違えねえ。大変(てえへん)だろうが、よく面倒をみてやる事だな。俺も近えうちに上州に帰って来るかもしれねえ。そん時ゃア、よろしく頼むぜ」

「えっ、親分が帰って来るんですか?」

「まだ、はっきり決まったわけじゃねえがな。まあ、今回は楽しませてもらうぜ」

「存分に遊んで行ってくだせえ」

 遠方から名の売れた親分衆が集まって来ているので黙っているわけにも行かず、上州の親分衆は皆、玉村に集合した。親分衆だけでなく、旅を続けている渡世人たちも噂を聞いて続々と集まって来た。岩鼻の代官所が近くにあるので、騒ぎを起こすわけにも行かず、忠次の子分たちは佐重郎の子分たちと一緒に眠る間も惜しまず見回りに専念した。

 代官所の役人は当然、玉村に博奕打ちの親分たちが勢揃いしている事は知っていた。中には凶状持ちもいるのは確かだったが、手出しする事はできなかった。祭礼の賭博は黙認するのが習わしとなっている。厳しく取り締まってばかりいたら、民衆の反感を買ってしまう。時には飴(あめ)を与えて、民衆をなだめなくてはならない。祭礼賭博はお上のお目こぼしとして、民衆をなだめるための飴の一つだった。

 代官所としても、何事も起こらない事を願っていた。何かが起こったとしても、それを静める程の人数はいない。十手持ちの親分衆に任せるしかなかった。この時、国定村の忠次の名は代官所の役人にはっきりと知れ渡った。各国の親分を集められたのは佐重郎や福田屋栄次郎のお陰だったが、役人たちは忠次が集めたものと勘違いした。忠次は要注意人物として、今後、役人たちから注目される結果となった。

 大雨の中、祭りも無事に終わり、玉村宿も静けさを取り戻した。

 忠次も子分たちも皆、疲れ切っていた。しかし、休む事はできなかった。利根川がまた氾濫して、あちこちの村が水浸しになっていた。縄張り内の人たちを守らなければ、祭りに来た親分たちに笑われてしまう。忠次は子分たちの先頭に立ち、泥まみれになって利根川と格闘した。

 九月になって、ようやく長雨は終わったが、稲は全滅に近かった。米の相場は上がる一方で、各地で打ち壊しが起こった。境宿に腹をすかせた乞食たちが食い物を求めて集まり、飢え死にした者が道に倒れ伏し、それを野良犬が食い散らかすという光景が何度も見られた。関東取締出役の役人が村々を巡って、米屋に米の売り惜しみをするなと命じて回ったが、あまり効果はなかった。米屋から袖の下を貰い、門前に群がる飢餓(きが)民を追い散らすというあくどい役人もいた。

 境の絹市に集まる人も減り、当然、忠次の賭場も閑古鳥(かんこどり)が鳴いていた。

 十月五日、忠次が賭場を借りていた佐野屋の御隠居が亡くなった。すると、その門前に飢えた人々が何かを恵んで貰おうと一千人近くも集まって来て、今にも打ち壊しが始まりそうな気配となった。

 忠次は佐野屋で代貸をしていた神崎の友五郎を連れて佐野屋と掛け合い、蔵にしまってあった米を人々に分け与えて騒ぎを静めた。佐野屋の蔵の中には想像していた以上の米が蓄えられてあった。ある所にはある事を知った忠次は、賭場で馴染みの旦那衆たちと掛け合って、蔵の中の米を出させた。賭場に出入りしている旦那たちは仕方がないという顔をして米を提供してくれた。しかし、それだけではまだ足らなかった。忠次は面識のない旦那の所にも出向いて掛け合ったが、いい返事を得る事はできなかった。堅気の衆を脅すわけにもいかず、忠次は引き上げ、円蔵と相談した。

「飢えた民衆を味方に付ける事だな」と円蔵は考えた末に言った。

 円蔵の策によって、目当ての旦那の屋敷の前で村人たちに暴動を起こさせ、忠次が乗り出して騒ぎを静める見返りとして、蔵の中の米を出させた。忠次は縄張り内の蔵持ちの旦那を片っ端から狙って、蔵に溜め込んだ米を出させ、飢えた人々に分け与えた。

 そんな騒ぎの最中、田部井村の名主でお町の養父だった小弥太が亡くなった。新しく名主になったのは、本間道場で師範をしていた宇右衛門(うえもん)だった。宇右衛門は村人たちのために、自分の蔵の米を施すと共に、忠次と協力して村役人たちの蔵も開かせた。そのうちに、忠次が出向かなくても蔵持ちの旦那たちは米を施すようになり、忠次の縄張り内では、何とか餓死者を出さずに年を越す事ができた。

 名主になった宇右衛門は村人たちのために何かをやろうと燃えていた。長い間、本間道場で師範をしていたので、腕には自信があり、怖い者知らずだった。正しいと思った事は何でもやってみようという情熱があった。その宇右衛門が忠次に頼みがあると言って来たのは二月の初めの事だった。

「去年は長雨が続いた。わしが思うにゃ、今年は日照りになるでえ」

 宇右衛門は独りでうなづいた。

「日照りが続くと水不足になるだんべえ。そこで問題になるんは水を溜めて置く沼だ。この間、見回ってみたらのう、ほとんど埋まっちまった状態だ。あれじゃア何の役にも立たねえ。そこで、おめえに沼浚(さら)いを頼みてえんだが、やっちゃアくれねえかい?」

「俺が沼浚いをやるんですかい?」

「何もおめえにやれとは言ってねえ。おめえに人足を集めてもらいてえんだよ」

「人足を集めるったって、あれだけの沼を浚うとなりゃア、相当の人数がいりますぜ。元手は大丈夫なんですかい?」

「大丈夫だとは思うが‥‥‥」

「今の御時世じゃア、銭だけじゃ人足も集まらねえ。おマンマも食わせなくちゃなんねえですぜ」

「まあ、そうだんべえなア」

「大丈夫なんですかい?」

「村のためだ。何とかするぜ」

「それと、博奕を見逃してもらわなくちゃ人足どもを引き留めておくのは難しい」

「それも分かってる。村役人はわしが説得するし、八州様の道案内たちも何とかする」

「それなら話は決まった」

「やってくれるかい?」

「師範には世話になったからな」

「師範はもうやめてくれ、上州一の親分に師範と呼ばれたら照れるぜ」

「まだまだ、俺は駆け出しだ。沼浚いをやり遂げ、男を売るぜ」

 忠次は境宿で人足を集め、田部井村に連れて来て、沼浚いを始めた。

 田部井村には三つの沼があった。忠次は沼のそばに小屋を建てて、一つづつ順番に浚って行った。勿論、小屋では賭場を開き、そのテラ銭は幾らにもならなかったが、宇右衛門に渡して、人足たちの飯代の足しにしてもらった。飯にあり付けるというので、噂を聞いて人足たちがどんどん集まって来た。博奕に勝った人足は女郎買いに木崎宿に行ってしまうが、代わりの人足はいくらでもいた。雨降りの日が少なかった事もあり、予定よりずっと早く、沼浚いは終わった。国定村の名主、又兵衛がやって来て、国定村の沼も浚ってくれというので、ついでに浚った。

 沼を浚ったのはいいが、雨が降らず、沼の水は少しも増えなかった。去年の不作の影響で米の相場は下がる事なく、かえって上がり、四月には金一両で米が二斗しか買えなくなった。梅雨時になっても雨が少なく、六月の世良田の祇園祭りの翌日、ようやく大雨が降り、祇園さんのお陰だと皆、大喜びした。その日より夕立雨が降るようになり、沼の水は溜まって行ったが、その年の稲作には間に合わなかった。それでも、粟(あわ)、稗(ひえ)、麦は八分の取り入れがあり、今年は飢えに苦しまなくても済みそうだった。

 玉村の八幡宮の祭礼賭博は去年と同様に忠次と佐重郎が仕切った。全国的に飢饉に見舞われているので、各国の親分たちは呼ばずに、上州の親分だけを招待した。しかし、祭りの前日、台風がやって来て、利根川は氾濫するし、祭りの準備はすべて台なしとなってしまった。祭りは一応、執り行なったが、台風の被害にあった家々も多く、見物客は集まらず、やって来た親分たちも地元の事が心配だと帰ってしまうし散々だった。

「こんな事もあるさ」と佐重郎は苦笑した。

「あまりあって欲しくはねえですがね」と忠次も苦笑した。

 この頃、国定一家の台所は火の車だった。賭場のテラ銭は減る一方なのに、物価は上昇する。大勢の子分を抱え、さらに忠次を頼って来る旅人たちの面倒も見なければならない。お町と円蔵が忠次に分からないように必死に工面しているのを忠次も感づいていた。何とかしようと、八幡様の祭りに賭けていたのが裏目に出てしまった。佐重郎の言うように、こんな事もあるさと開き直らずにはいられなかった。

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