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20 おめえは間違えなく男だぜ

2008.10.25 - 侠客国定忠次一代記

 勘助殺しの後、すぐに手配されたのは、国定村の忠次郎、日光の円蔵、八寸村の七兵衛、保泉村の久次郎、保泉村の卯之吉、下植木村の浅次郎、茂呂村の孫蔵、茂呂村の茂八、堀口村の定吉、下田中村の沢五郎の十人だった。

 この中で実際に勘助殺しに加わっていたのは浅次郎と茂八の二人だけだった。この二人は勘助の妾に顔を見られたのかもしれない。忠次と円蔵は首謀者として手配され、七兵衛は勘助の家の近くに住んでいたので関係ありと見られたのかも知れないが、後の者たちは何の根拠があって手配されたのか分からなかった。しかし、手配されたからには逃げなければならない。捕まってから、言い訳を言っても通じる相手ではなかった。

 手配された者たちが逃げ去った後、赤城山中の山狩りが行なわれた。関東取締出役の吉田左五郎は忠次らが潜んでいた岩屋を発見したが、当然、もぬけの空だった。

 その後、富塚村の角次郎、上中村の清蔵、桐生町の長五郎、甲斐の新十郎、柴宿の啓蔵、蓮沼村の菊三郎、平塚村の為次、世良田村の伝次、新川(にっかわ)村の秀吉、神谷村の喜代松の十人が追加された。この十人は忠次の代貸たちだった。忠次の勢力を恐れたお上が、勘助殺しを機に国定一家を壊滅させようとたくらんでいるのは明白だった。

 勘助殺しの半月後、上州と信州の国境、車坂峠で堀口村の定吉、茂呂村の孫蔵、保泉村の宇之吉の三人と三下奴が一人捕まった。

 十月になると保泉村の久次郎、下植木村の浅次郎、茂呂村の茂八、富塚村の角次郎、桐生町の長五郎が捕まり、十一月には日光の円蔵までもが捕まってしまった。

 円蔵は勘助殺しに疑問を持っていた。又八の家に手入れのあった前日の八州様の動きを追っていた円蔵は、田部井の佐与松が、木崎宿に隠れていた木島の助次郎と密かに会っていたという情報をつかんだ。勘助の家に出入りしていた佐与松が、又八の賭場に忠次が現れる事を田部井村の旦那衆から聞いて助次郎に知らせ、助次郎が玉村にいた関東取締出役の吉田左五郎にたれこんだに違いないと思った。その事を忠次に知らせたが、すでに、勘助を殺してしまった後だった。忠次としては山狩りの前に決着をつけなければならなかったのだろうが、早まった事をしてしまったと円蔵は悔やんでいた。

 一旦、旅に出た円蔵だったが、事の真相を突き止めなければ気が済まないと山伏姿になって上州に舞い戻り、助次郎捜しを始めた。忠次を初めとして大勢の子分たちが国越えして安心した助次郎は木島村に帰っていた。円蔵は助次郎を捕まえて、真相を語らせようとしたが、それが罠(わな)だった。八州様は助次郎を餌(えさ)にして、忠次が現れるのを待ち構えていたのだった。

 円蔵は大勢の捕り方に囲まれ御用となった。

 助次郎は縄で縛られた円蔵を見下ろしながら、得意顔で大笑いした。

「忠次の野郎、勘助を殺して、いい気になっていやがるが、あん時の立て役者はこの俺様だったんだぜ」

「やはり、おめえだったのかい」と円蔵はふてぶてしく笑った。

「勘助の野郎にゃア、忠次を売るような度胸はねえ。小銭をせびって歩くんが精一杯(せえいっぺえ)だ」

「うちの旦那が怖くて、こそこそ隠れていやがって、おめえが勘助の事を笑えるか、くそったれが」

「うるせえ、黙りやがれ」

 助次郎は円蔵を思い切り蹴飛ばした。

 円蔵は伊勢崎に連れて行かれ、取り調べを受けてから江戸に送られた。

 捕まった円蔵を一目見ようとやじ馬たちが黒山の人だかりとなった。人殺しをしていない円蔵を何とか助けようと福田屋栄次郎や玉村の佐重郎らが嘆願したが効き目はなかった。

 吉田左五郎を初めとした八州様も真剣だった。役人たちを総動員して大手配したからには、何が何でも忠次を捕まえなくてはならない。しかし、忠次はどこに隠れたのかまったく分からず、このままでは面目丸つぶれだった。忠次の片腕だった円蔵を捕まえる事ができて、辛うじて面目が保たれたと一安心していた左五郎が円蔵を手放すはずはなかった。

 円蔵を初めとして、江戸送りとなった者たちは誰一人として帰って来る事はなく、残酷な拷問(ごうもん)の果てに牢内で死ぬか、首をはねられた。

 その頃、忠次は野州大久保村に隠れていた。

 大久保村は日光例幣使街道の栃木宿から永野川をさかのぼった山中の村だった。この辺りにも八州様の捕り方は回って来たが、元山伏だった一角のお陰で山中に隠れ無事だった。

 忠次はお貞と共に暮らし、お貞から高野長英の事を色々と聞き、お貞が写した『夢物語』を何度も読み、海の向こうには色々な国がある事を初めて知った。顔付きも髪の色も言葉もまったく違う、それらの国の人たちが何日も掛けて海を越えて日本にやって来ているという。お貞の話を聞いていると上州の国内で縄張りを広げていい気になっていた自分がやけに小さく感じられ、もっと大きな事がしたいと漠然と思い始めていた。

 大久保村に隠れて二年が過ぎた。

 お貞は忠次の長男を産んだ。子種がないと諦めていた忠次は長男の誕生を大喜びした。その子は絶対に博奕打ちにはしないで、偉い学者にするんだと張り切っていた。お貞は忠次が旅に出た時、名乗っている国次郎という名を付けたがったが、忠次は反対して寅次郎と名付けた。一角の家の床の間に飾ってある勇ましい虎の絵が気に入り、虎のように強く生きて欲しいと願ったのだった。

 その頃、上州では手配を免(まぬが)れた千代松が中心になって縄張りを守っていた。何人もの代貸が捕まり、縄張りは小さくなってしまったが、境宿の賭場さえ無事なら他は取り戻す自信を持っていた。

 弘化二年(一八四五)の五月、母親が倒れたとの知らせを受け、忠次は密かに国定村に帰った。しかし、間に合わなかった。弟の友蔵の話によると母親は最期まで、忠次の無事を祈っていたという。葬式に参列する事もできず、忠次は一人泣きながら、母親の冥福を祈り、弟の友蔵に両親の石塔を立てる事を頼んで、大久保村に帰った。

 その年の九月、ついに千代松が捕まってしまった。逃げ回っていた佐与松を見つけ、子分に命じて殺させようとしたが失敗し、自らの手で殺そうとして、逆に捕まってしまったのだった。

 八州様と木島の助次郎の仕組んだ罠だった。千代松は残酷な拷問責めにあっても忠次の居場所を吐かず、半年後に江戸の牢内で死んでしまった。

 千代松の代わりに国定村の次郎と境川の安五郎が中心になって縄張りを守った。

 忠次が帰って来たのは勘助殺しの四年後の事だった。

 天保の改革の主催者、水野忠邦が失脚したため、忠次の追及も幾分弱まって来た。それでも、昼間、堂々と田部井村には帰る事ができず、五目牛村の千代松の後家、お徳の家に隠れ、夜になるとお町やお鶴のもとに通っていた。

 お徳は面倒味のいい女で何かと気を使ってくれた。子分だった千代松の後家に手を出すつもりはなかった忠次だったが、昼間、一緒にいるうちに、つい魔がさして抱いてしまった。千代松も許してくれるに違いないとそのまま、お徳を妾にした。お鶴は呆れて何も言わなかったが、お町は猛烈に怒った。忠次はお町の怒りを恐れて、赤城山に逃げて行った。

 赤城山に隠れながら、国定一家の再編成を考えている時、坊主頭の風変わりな男が忠次を訪ねて来た。江戸の牢を破って逃げて来たという。

「牢屋ん中でな、親分の噂を聞いて、一度、酒を飲みてえと思ってやって来たんだ。本当なら玉村辺りの女郎屋に繰り出して、可愛い女子(おなご)を抱きながら飲みたかったんだが、お互い、追われてる身じゃアしょうがねえ」

 そう言うとぶら下げて来た二升どっくりを口飲みして、忠次に差し出した。相手の態度に圧倒され、忠次は言われるままに、その酒を飲んだ。

「大した飲みっぷりだ。おぬしは噂通りの男だぜ」

「一体(いってえ)、おめえさんは誰なんでえ?」と忠次はとっくりを返した。

「名前なんか名乗ったところで、おぬしが知ってるわけはねえ」

 男は忠次の姿を眺めながら酒を飲むと、満足そうに独りうなづいた。

 誰だか分からないが、面白そうな男だと忠次はその晩、月を眺めながら、その男と酒を飲み交わした。

 男は酒が強かった。酔うにつれて、お上の批判を大っぴらに言い始め、時々、わけの分からない言葉を使った。

 忠次はふと、お貞がいつも話していた高野長英の事を思い出した。長英が牢を破って、上州辺りに隠れているという噂も聞いていた。

 長英に間違いないと確信を持ったが、言葉には出さず、だたの男同士として酒を飲んだ。お互いに酔っ払い、しまいには何を言っているのか分からない状況となり、そのまま、飲み潰れてしまった。

 翌朝、目が覚めると、

「楽しい夜だったぜ」と笑って男は山を下りて行った。

 たった一晩の付き合いだったが、何となく別れがたかった。向こうもそう思ったのか、また、戻って来ると、高野長英だと名乗り、わけの分からない言葉をしゃべりまくって去って行った。

 忠次は長英に会った事をお貞に告げるため、そのまま、野州大久保村へと向かった。

 一月程して戻って来ると、なぜか、お町とお徳は仲良く、留守を守っていた。

 忠次の顔を見て、

「何しに帰って来たのよ」と二人してつれなかったが、すぐに機嫌は直り、昼は五目牛村、夜は田部井村という生活が続いた。

 賭場に顔を出す事もなく、木崎の左三郎に奪われた世良田と平塚を取り戻そうともしなかった。木島の助次郎は忠次を恐れて、相変わらず隠れていたが、千代松が捕まった後、子分たちに命じて、木島村と伊与久村を取り戻していた。

 百々村にいて国定一家を背負っている次郎は助次郎の子分たちを追い出して、木島村と伊与久村を取り戻そうと言うが、助次の奴はもう年だ。放っておいてもそのうち死ぬと言って取り合わなかった。そして、子分を浦賀に送って、外国からやって来た船の様子を探らせ、その話を聞きながら、独りうなづいたり、じっと考え込んだりしていた。

 子分たちはお貞の影響で忠次はおかしくなってしまったと思い、お貞の存在を知らないお町やお徳は、また何か途方もない事を考えているに違いないと期待していた。

 高野長英が赤城山に忠次を訪ねて来てからというもの、境宿の蘭方医、村上随憲(ずいけん)の私塾に通っている若者や伊与久村の五惇堂に通っている若者たちが赤城山にやって来るようになった。彼らは皆、今の世の中を否定し、新しい世の中を作らなければならないと演説をぶち、共に世直しをしようと忠次を誘った。しかし、具体的に何をやったらいいのか、彼らにも分からないようだった。

 若者たちの意見を聞きながら、世の中は変わって来たと忠次は感じていた。

 自分たちの若い頃、お上のする事をとやかく言う者などいなかった。そんな事を言ったら、気違い扱いされただろう。世の中を変えるなどという大それた事は絶対に不可能だと思い込み、その仕組みの中で、面白おかしく暮らそうと反骨心のある者は博奕打ちの世界に入って行った。博奕打ちの世界は実力がものをいう世界で、力さえあれば、のし上がる事ができた。現に、忠次は大勢の子分を抱える大親分になった。しかし、失う物も大きかった。自らは追われる身となり、何人もの子分を死なせてしまった。

 日新が現れた時、とんでもない事を考える奴が現れたもんだと驚いた。ところが、今、若者たちは日新と同じ道を歩いている。新しい世の中を作らなければならないと真剣に考えていた。まだ、彼らには何をどうやったらいいのか分からないようだが、やがて、何かをしでかすだろう。その時は彼らに力を貸してもいいと思っていた。

 忠次は長男、寅次郎の顔が見たくなると、突然、フラッと旅に出て、大久保村に行った。

 ふと、お篠の顔が見たくなって、六年振りに野沢の湯に行ったら、なんと、忠次の娘がいた。

 お国と名付けられたその娘は六歳になっていて、忠次が顔を見せると、

「お父(とう)」と言いながら近づいて来た。

 お国は可愛かった。

 忠次は博奕打ちの親分という身分を忘れ、宿屋の主人に成り切って、一年近くも親子三人で幸せに暮らした。

 嘉永(かえい)二年(一八四九)、四十歳になった忠次は逃げ隠れする生活に疲れ、跡目を境川の安五郎に譲って隠居した。次郎に譲るつもりだったが、次郎から安五郎の方が親分には向いていると言われ、安五郎に決めた。文蔵のように、安五郎を助けて国定一家をもり立ててくれと忠次は次郎に頼んだ。

 隠居した忠次は、お鶴、お町、お徳の三人を連れて、会津に行き、残りの人生を穏やかに暮らしながら、世の中の動きを眺めようと思っていた。会津には去年の旅で兄弟分になった左蔵親分がいて、忠次が行くのを楽しみに待っている。勿論、時には大久保村と野沢村に行って子供と遊ぼうとも思っていた。寅次郎は六歳、お国は八歳になり、二人共、可愛い盛りだった。

 一年間、安五郎の後見として様子を見た忠次は、いよいよ、会津行きの準備を始めた。

 七月二十一日、忠次は夜になってお町の家に出掛けた。

 お町は留守で、兄、嘉藤太の家に行ったという。忠次も久し振りに嘉藤太に会いたくなり、嘉藤太の家に向かった。

 嘉藤太も今は堅気になっていた。お互いに年を取ったなアと昔話に花が咲き、思い出話を肴に夜遅くまで三人で酒を酌み交わした。

 お町と再会した思い出の奥座敷で、お町を抱いている時、忠次は突然、発作に襲われた。

 身体を痙攣(けいれん)させ、息を荒げて涎(よだれ)を垂らした。お町は慌てて、嘉藤太を呼んだ。口の中に何かがつかえているようなので、お町が口の中に指を突っ込んで、食い物のカスを取り除くと、ようやく落ち着いて来たが、身体は言う事を聞かないようだった。

 嘉藤太は国定村に飛んで行き、弟の友蔵と足を洗っていた清五郎を呼んで来た。百々村にも子分を走らせ、跡目を継いだ安五郎と次郎も呼び寄せた。主立った子分たちが集まり、相談した結果、五目牛村のお徳の家に隠した方がいいという事に決まった。

 翌朝早く、戸板に乗せられた忠次は五目牛村に連れて行かれた。

 お徳は驚き、忠次の心配はしたが、お町の所に行った事を知っているお徳は意地を張って忠次を引き取らなかった。

 忠次は戸板に乗せられたまま国定村に連れて行かれ、清五郎の家に匿(かくま)われた。ようやく、戸板から降ろされ、一安心した忠次だったが、堅気の家に置いておくのはよくないと、すぐにまた、戸板に乗せられて山中の掘っ立て小屋に移された。しかし、病人の看護をするのに山中では不便だったため、田部井村の名主、宇右衛門が引き取る事となった。

 八月半ば、噂を聞いた大前田の栄五郎が密かに見舞いにやって来た。

「どうしたい? 中風(ちゅうふう)で倒れたって聞いたが、思ったより元気そうじゃねえかい」

「へ、い‥‥‥」

 忠次はわざわざ来てくれたお礼を言いたかったが、口が動かなかった。

「おめえの事だ。中風なんかやっつけちまうだんべえ。おめえがみっともねえ姿をしてるようだったら、自害しろと言いに来たんだが、その心配(しんぺえ)はなさそうだな」

「自害ですか?」と一緒にいた清五郎が驚いた。

「そうさ。国定村の忠次は最期まで忠次じゃなきゃなんねえんだよ。中風になったみっともねえ忠次なんか、誰も見たかアねえぜ。忠次の生きざまはな、今の時代(じでえ)そのものなんだ。高え年貢を取られても、お上に逆らう事のできねえ百姓たちにとって、お上に堂々と刃向かって来たおめえは百姓たちの憧れなんだ。成田屋(市川団十郎)の助六みてえに最期まで粋じゃなきゃなんねえ。絶対に逃げ通すんだぜ」

「お、じ、ご‥‥‥」

 忠次は栄五郎を見つめながら、感激して涙を流していた。

「おめえの生きざまをみんなが注目してるってえ事を忘れんなよ」

 栄五郎は見舞い金をたっぷりと置いて帰って行った。

 忠次は発作が起きた時、紋次親分のように、言葉もしゃべれず、半身不随になってしまうのかと嘆いた。しかし、様態は少しづつだがよくなって行った。一月経つと言葉もしゃべれるようになり、身体も動かせるようになって来た。後一月あれば、元の身体に戻れると自信を持った忠次は、三人の女たちに会津行きの準備を急がせた。

 安五郎と次郎は病に倒れた忠次を見逃して貰うため、八州様の道案内たちに小判を配って回った。木島の助次郎が二年前に病死してしまったので、忠次に逆らう者はいないだろうと安心していた。ところが、木崎の左三郎が太田の苫吉(とまきち)に渡すはずの三両を着服してしまい、一両しか渡さなかった事から、苫吉が怒って、太田宿にいた関東取締出役、関畝四郎(うねしろう)に忠次の居場所を告げてしまった。

 八月二十四日の夜明け前、宇右衛門の屋敷は関畝四郎の率いる捕り方に囲まれ、忠次は抵抗する事もなく捕まった。一緒に隠れていたお町、お徳、清五郎、次郎と忠次を匿った宇右衛門も捕まった。

 この頃、やっと歩けるようになった忠次は縄を掛けられ、伊勢崎へ連れて行かれた。伊勢崎までの道程(みちのり)は長く苦しかったが、忠次は弱音を見せずに歩き通した。捕まった忠次を見送るため、道の脇には大勢の人が集まって、忠次に別れを告げた。

 忠次の妻、お鶴は忠次が捕まった事を知るとうなだれ、自分も捕まるに違いないと覚悟を決めた。しかし、田部井村の円明院にいた山伏、右京に説得され、右京と共に野州へと逃げて行った。右京は大久保一角と共に田部井村に来て、密かにお鶴に惚れ、陰ながら、お鶴を見守っていたのだった。

 弟の友蔵も妻と子を実家に帰して逃げて行った。

 跡目を継いだ安五郎も逃げてしまい、国定一家は崩壊した。

 忠次に対する助命嘆願や宇右衛門に対する慈悲願いなどもあり、伊勢崎での取り調べは一ケ月以上も掛かった。

 九月二十八日、大雨の降る中、忠次らは玉村宿へと移された。まだ看病が必要な忠次はお町と一緒に御用宿、三河屋の一室に入れられた。さっそく、佐重郎が顔を出した。

「まさか、おめえが捕まるとはなア、夢にも思わなかったぜ」

 佐重郎は手を縛られたまま、横になっている忠次と、そのそばに座っているお町を眺めながら腰を下ろした。

 忠次は起き上がると、佐重郎に頭を下げた。

「親分、色々と世話になっちまって‥‥‥俺がこの渡世に入る時に世話になり、そしてまた、最後にこうして世話になるとは‥‥‥」

「そうだったなア、おめえが人を殺して、俺んとこに飛び込んで来た時ゃア、ほんとに驚いたぜ。これで、恩返しができると思ったんだが、結局、何もできなかった」

「何を言ってんです。充分過ぎる程、恩返しはさせてもれえやした。あの世に行ったら、親父によく言っときやすよ」

「そうか‥‥‥」

「親父は俺が十の時に死んじまって、俺は親父の事をよく知らなかった。親分のお陰で親父の事を色々と知る事ができてよかったと思ってやす」

「そう言ってくれるか‥‥‥」

「あの世で、親父と一緒に酒を飲みてえと思ってるんですよ」

「そうかい、そいつはいい考えだ」

「親分さんも随分とお達者で‥‥‥」

「ああ‥‥‥おめえも江戸に行ったら、厳しいお取り調べがあるだんべえが、最期までくじけるんじゃねえぞ。親父が見守ってると思って立派に死ねよ」

 忠次はうなづいた。

 佐重郎はうつむいているお町に笑い掛け、

「忠次の事を頼んだぜ」と言うと帰って行った。

 翌日、梁田宿から上総屋源七が忠次に別れを告げに来てくれた。

「親分、とうとう捕まっちまった」

 忠次は源七に笑い掛けた。

「おめえの最後にしちゃア、随分、あっけなかったじゃねえか」

「運命ってやつかもしれやせん。身体が言う事を聞かなくなっちまったからな」

「そうか‥‥‥おめえから運命なんて言葉を聞くたア思ってもいなかったぜ。覚悟は決めたようだな?」

「本音を言やア、まだ死にたかアねえが、今更、騒いだとこでどうにもなりゃしやせんからねえ」

「うむ。おめえの死にざまはみんなが見てる。最期まで、博奕打ち、国定村の忠次として死んでくれ」

 忠次は源七の顔をじっと見つめてから、うなづいた。源七親分も随分と年を取ってしまったなアと思った。

 そして、翌日には前橋から叔父御の福田屋栄次郎がやって来た。

「思ったより元気そうじゃねえか?」

「なぜか、腫れ物にでも触るように大事にしてくれやす」

「おめえは大物だからな。八州様としても、おめえの子分たちを刺激したくはねえんだ。子分だけじゃねえ、おめえを助け出して男を売ろうとしてる奴もいるに違えねえからな」

「男を売るか‥‥‥叔父御、本物の男ってえのはどんな男なんでえ?」

「そんな事を急に言われても分かるかい。男ってえのは、まあ、男なんだんべえ」

「俺はガキの頃から一丁前(いっちょめえ)の男になりてえと思ってた。いつの間にか四十になっちまって、子分どもを抱える身分となったが、果たして、俺は男になったんだんべえかと思うと、よく分かんねえ」

「そんな事は誰にも分かんねえよ。男かどうかってえのは世間様が決めるもんだ。まあ、おめえは間違えなく男だぜ。おめえの事はみんなが忘れやしねえよ」

「叔父御、叔父御にそう言って貰えりゃア、俺は心置きなく死ねるぜ」

「うむ‥‥‥死ねまで、達者に暮らせよ」

 他にも忠次に別れを告げるため、各地から親分衆がやって来た。関畝四郎としても、やっと忠次を捕まえたのに、こんな所で騒ぎを起こされたら困るので、わさわざ来てくれた者には別れを告げさせた。

 玉村に半月余り滞在した忠次たちが唐丸籠に乗せられて江戸に送られたのは十月十五日のよく晴れた日だった。

 忠次の子分たちも黙って見ていたわけではなかった。浅次郎の子分だった万蔵らが、忠次を取り戻そうと計画した。しかし、失敗して玉村で捕まってしまった。他にも助け出そうとした子分はいたが、警戒が厳重過ぎて手を出す事ができなかった。

 十九日に江戸に着き、小伝馬町の牢に入れられ、取り調べが始まった。

 忠次が牢に入っていた十月の晦日(みそか)、高野長英が江戸の隠れ家を捕り方に囲まれ、自害して果てた。

 忠次が勘定奉行から磔(はりつけ)刑を告げられたのは十二月十五日だった。そして、翌日、お仕置き場に向かって旅立った。

 忠次を乗せた唐丸籠を護送する物々しい行列は中山道を北上し、板鼻宿で中山道と分かれて信州街道に入った。榛名山の裾野を流れる烏(からす)川に沿った街道を冷たい風に吹かれながら、厳重に警固された大戸宿に着いたのは五日後の二十日だった。その日、新井屋善治平の屋敷に入った忠次は加部安の酒を所望(しょもう)した。

 忠次の望みはかなえられ、加部安自身が酒を持ってやって来た。

「体の具合が悪いと聞いてたが、何でもなさそうじゃねえか」

 加部安は忠次を見るとニヤッと笑った。

「へい、お陰様で‥‥‥死ぬ前に旦那んとこの酒が飲めるとは嬉しいねえ」

「とんだ事になっちまったなア。まさか、おめえさんが大戸で磔になるとは思ってもいなかったぜ」

「最期まで、旦那にゃ迷惑かけちまったな」

「なあに、そんな事は気にするな。おめえさんと出会えて、俺はよかったと思ってんだ。まあ、今日は心行くまで飲んでくれ」

「すまねえ」

 両手を縛られたままの忠次は加部安の注いでくれた酒をゆっくりと味わいながら飲み干した。

「うめえなア。旦那も一緒に飲んでくんねえ」

「おお、そうだな」

 忠次は酒盃を加部安に渡すと、酒を注いでやった。

「おめえさんと初めて会ったんは玉村の玉斎楼だったっけなア。おめえさんの部屋に行くと言った白菊を無理に引き留めて、おめえさんが怒ってやって来るのを待っていた。もう二十年近くの前の事だ」

「あん時ア、まったく、たまげたぜ。旦那のやる事がでっけえって、みんな、あっけに取られちまった。あれから、もう二十年にもなるのか‥‥‥旦那にゃア、ほんとに世話になったなア」

「死ぬにはまだ早すぎるぜ」と加部安は言うと、酒盃を忠次に返した。

「早えかもしれねえ。でもなア、最近の若え者の考えにはついて行けなくなっちまった。なんか、こう、時代ってえのが変わって来たんかもしれねえ。恥をかかねえうちに、この世とおさらばするのもいいかもしれねえと思うようになったんだ。なに、強がりを言ってんじゃねえんだ。あきらめでもねえ。何て言ったらいいのか分かんねえが、人間の一生なんてこんなもんだんべえって思うようになって来た」

「おめえさんも何度も修羅場をくぐり抜けて、それなりに悟ったようだな」

「そんな大それた事じゃねえが、磔になって死ぬのも俺の最期にゃアふさわしいような気がするぜ」

 忠次はほろ酔い気分になると加部安のお酌を断った。

「明日の舞台(ぶてえ)に差し支えるからな」と忠次は笑った。

「一世一代(いっせいちでえ)の芝居(しべえ)をしくじるわけにゃアいかねえ」

「一世一代の芝居たアよく言ったもんだ。まさしく、一世一代の桧舞台だ。明日はおめえさんの最期の芝居を見るために大勢の見物人が集まって来るぜ。立派にやり遂げてくれ」

「明日、芝居の前にもう一杯、お願えします」

「分かった」

 加部安はうなづくと、忠次の顔をじっと見つめてから帰って行った。

 次の日、嘉永三年十二月二十一日、大観衆の見守る中、忠次の一世一代は見事に演じられた。四十一歳の生涯だった。

 

 


 田部井村の名主、宇右衛門は忠次を匿っただけでなく、博奕を黙認し、さらに博奕のテラ銭を使って沼浚(さら)いをしたのはお上を恐れぬ所存だと死罪を言い渡され、忠次の磔より五日後の二十六日、処刑された。

 清五郎は忠次を匿って世話をし、道案内たちを買収したとして遠島(えんとう)。次郎は忠次の代貸として博奕を催したため追放。お町とお徳は押し込め(謹慎)。道案内の左三郎も捕まり、追放となった。その他、田部井、国定の村役人たちも罰金を課せられた。

 忠次の磔から十八年後、江戸幕府は崩壊し、日新が望んでいた新しい世の中がやって来た。

 

 

 

 


 

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